ほんもんぶつりゅうしゅう

常住寺


2020-06-17 09:25

「 こころにしみた 」

【6月29日(月)】  「 こころにしみた 」
 
ありがとうございます。
今日は、当山恩師上人・報恩お総講が営まれました。八世講有(当山草創開基)日歓上人が5月30日、十五世講有(当山開基)日晨上人が8月31日、当山第二世権大僧正日泰上人が12月29日、第三世僧正日豊上人が9月13日のご命日です。29日、30日、31日と続きますから、歴代の報恩お総講は、恩師日泰上人のご命日・29日に併せて営むことになっています。今日も大勢のご信者がお塔婆を建立され、お賽銭、お盛物など、報恩の想いでお供えをいただきました。各位の思いに深く随喜申し上げます。
 
さて、コロナの自粛期間にはじまった「9時からのお看経・ご祈願」は、いまも毎日つづいております。このご祈願のあとに、ご信者さんと受持お講師と3人で、またあらためてお看経をおあげすることになっています。いままでのご奉公を振り返って、いろいろな面でお懺悔をさせていただこうという事になり、そのためのお看経です。
 
昨夜も、また別の方と、日々のご信心を振り返ってみようという話しをしておりました。よかれと思っている中でも、実は罪障を積んでしまう心が潜んでいたりするのが凡夫です。ですから、日々の無始已来はもちろんですが、「今日もまた一日、御法の御心に叶うご奉公ができたか?」「だれかにお題目をお唱えすることの貴さを伝え、ご利益をいただいてもらえるように願って、お勧めすることができたか?」「凡夫のこころを起こしてしまわなかったか?」それらを振り返りたいのです。
 
ご教歌 よい事をして懺悔をばしたるかな 今は心に くるしみもなし
 
小僧と京都で同期だったお講師が、在学中にいつも口ずさんでいらしたご教歌です。なにか、深く思うところがあったのでしょう。いつもいつも、こころに染みこませるかのようにお唱えしていらっしゃいました。ご教歌の御心は、私たちは凡夫であるので、功徳を積もうと志している日々の信行の中であっても、実は、なにか罪障をつくってしまうような曇りがあっても不思議ではない。ですから、日々信心を清らかに保っていけるように、常々、懺悔のこころを忘れてはならないとお示しである。と拝します。
 
今日のお懺悔のも、そういう一面が含まれます。そしてお懺悔を機に、小僧もいっしょになって改良をさせていただきます。こころ新たにスタートを切る場面です。みんなが、御法の御心に叶ったご信心を志すようになったら嬉しい。そしてご利益をいただいて、不安なく安心で、ありがたくてありがたくて。そんな心持ちになって、お計らいがいただけるようにとねがいます。そのためにも、1人ひとりがスタートラインを引いて、またひとつ、力つよく進んでいきたいのです。
 
京都で同期だったお講師は、こころに染みて、お懺悔をこころがけていらっしゃるお方です。小僧も真似て、ご信者といっしょに、清らかな信心を目指します。合掌。
 
 
 
 
【6月28日(日)】  「 食堂のおばちゃん 」
 
ありがとうございます。
かつて、恩師のご法宅のお給仕ご奉公とお寺の食堂職員の両方をしていたおばちゃんが2人いました。小僧が生まれたときにはすでに職員でしたので、小僧のオムツも替えていただいたとお聞きしています。先般、そのおばちゃんたちの祥月命日を迎えました。それぞれ、大勢の方々がお塔婆をお供えくださいました。ありがとうございます。
 
小僧はこのお二人の人柄を語るとき、「ニッポンのおかあちゃん」と表現しています。他人さんに対しても、本当のおかあちゃんのような愛情を注いでくださった方々でした。ソバにいると、とても安心だったのを覚えています。ぼさつのような心だったんですね。いろいろな角度から、施すことをしてくださっていたのだと思います。
 
さて、昭和の時代にも、いまのコンビニで売っているような「おにぎり」が、商品として存在していました。ただ、当時のものはパサパサのゴハンで、あまり美味しいとは思えないような出来映えのおにぎりだったと記憶しています。いや、それ以前に、「おにぎりくらい、家でにぎったらいいのに・・・。」そう思っていたのをよく覚えています。令和のいま、そんなことは考えもしませんが、子どもながらに当時は本気でそう思っていました。
 
「おなかがすいた」と言ったら「コンビニ行って、おにぎりでも買っておいで」っていう会話で、今現在、なにかマイナスの感情を抱くようなことはありませんが、昭和の当時は恐らく、「そりゃないでしょ~」と、なにやら悲しい気持ちになっていたに違いありません。愛情を感じない。切ない気持ちです。
 
食堂のおばちゃんたちは、いつも、みんなに美味しい物を食べてほしいという気持ちで動いて下さっていました。おにぎりのように、その時代、その国や地域などによって習慣も違いますし捉え方も違う、人の感覚もマチマチですが、「仏教で教わる施し」は、「みんなに喜んでほしいなぁ」とか、「ちゃんと栄養とって、元気でいてほしいなぁ」という、母性のようなものなんだと思います。そして、そういう人たちがいつも作ってくれる食事が「常住寺の味」でした。母性というスパイスは最高の調味料です。
 
偶然にも同じ月に亡くなったおばちゃんたち。おかげさまで、いまも元気でご奉公させていただいております。小僧は男ですが、あたたかな、母性のような感覚をもってご奉公させていただかねがならないなぁと、おばちゃんたちのことを思い返しました。合掌。
 
 
 
 
【6月27日(土)】  「 ゆかれぬようにならぬ御利益 」
 
ありがとうございます。
 
ご教歌
ゆけるだけゆけとてすゝむ信行に ゆかれぬ様に ならぬ御利益
 
凡夫の目線で信心にカンヌキを入れず、とにかく前向きに、精一杯させていただこうとするのが、ご利益をいただくもと。
凡夫の迷いの心を、乗り越える信心前でご利益をいただく。
 
お参りしたい。でも足が悪くて動けない。でも、なんとかしてお参りしたい。そして人力車でお参りされた。不思議なことに、帰りは歩いて帰ることができた。
 
開導聖人の時代のご信者さんがいただいたご利益談が載っていました。すごいなぁと思います。なんとか功徳を積ませていただきたい。そういうこころさしがあるのでご利益を蒙るのですね。なにごとも思いをおこしているから万事ウマくいくことを教わりました。
 
【ご指南】
一寸先見えぬ凡夫なれば、昼夜御守りある故に、ふしぎ、ゆかれぬ様にならぬを、感得すべし。
 
 
 
 
【6月26日(金)】  「 権大僧正 日智上人 本葬儀 」
 
ありがとうございます。
去る6月19日。乗泉寺第22世ご住職、権大僧正・信慈院日智上人が法寿89歳にてご遷化遊ばされました。
 
20日・土曜日。お亡くなりになられた翌朝に信泉寺さまからご遷化の訃報をご連絡をいただき、すぐお師匠さまの元に駆けつけました。着きましたらすでに、本寺・乗泉寺のお導師ご唱導にて枕経が始まっておりましたので後ろで一緒にお看経をおあげしました。
 
日智上人には大勢のお弟子がいました。小僧も附弟の一人です。お見送りの準備として、ご法衣のお召し替えとご納棺のお手伝いをさせていただくことができ、仮通夜、本通夜、ご本葬、初七日・収拾舎利のお看経までお参りすることができました。ありがとうございます。
 
葬儀日程の合間に、常住寺のお会式打ち合わせ、夏期参詣の準備、通信の原稿作成などもあり、バタバタと動いていた数日間でしたが、一部を除いてうまく時間を回せたのでありがたく思った次第です。しかし慌ただしさにかまけて、寺内教講に対してキチンとご遷化の訃報をお伝えしておりませんでした。ウチのお講師や周囲のご信者方々が、それぞぞれ寺内にご披露して下さったと報告を受けました。助かりました。ありがとうございます。
 
いまはお葬儀でも人と人との間隔をあけて執行しますので、1000人も入る大本堂で、かなりゆったり座りお参りさせていただきました。本来ならば門末が大集結するお葬儀ですが、コロナの影響でいまはそれが出来ません。ただ、人が少なくても本堂内がとてもご荘厳なので、ひっそりとした感じは全くありませんでした。むしろ独特の神々しさが漂う中でのお葬儀でした。これも上人の御徳なのだと思います。
 
いままでご教導をたまわり、まことにありがとうございました。明日からまた、報恩のご奉公に邁進させていただきます。合掌。
 
 
 
 
【6月25日(木)】  「 お父さんの命日 」
 
ありがとうございます。
本日は門祖聖人ご命日報恩お総講が朝参詣に併せて営まれました。ご信者各位におかれましては、梅雨の大雨にもかかわらずお参詣ありがとうございました。また今朝は、夜明け間もない4時50分ころに千葉県北東部で震度5弱の地震があり、常住寺でも多少の揺れがありました。ご信者みなさまにはご無事のご様子でしたのでなによりでした。
 
さて、今朝は久しぶりに赤羽連合所属のご信者さんがお参りにみえました。90歳をこえるご高齢ですがとてもお元気です。普段は中々お参りできませんが、それでも時折お参りくださいます。今日はご主人の祥月命日ですのでお塔婆をお供えしてのお参りでした。
 
「雨なのにお参詣ありがとうございます。大変でしたね。」とお声をかけますと、ニコっと微笑んで優しいまなざしで「ありがとうございます」とお返事いただきました。こういうやりとりは本当に嬉しいものです。お寺もご信者もお互いにありがとうございますという思いが深まりますね。
 
雨の心配をしていたら、寺族がクルマでお送りしますと買って出てくれました。それならばと、ついでといったら失礼ですが、同じ方面のお参詣者もいっしょにのっていただくようにしました。運転のご奉公者さん、ありがとうございます。自ら進んでご奉公を買って出てくれた。喜んでさせていただく。やはりこれが一番ですね。
 
これも言うなれば、ご高齢のご信者さんが大雨の中を頑張ってお参りされた。その様子をみていた周囲の者が「ありがたい」っていう気持ちになって、それでなにかお役に立たせていただきたい。そうだ、帰りはお送りしよう!となるんですね。なので、送った方もありがたいけど、そうしたいと思わせるご高齢のご信者さんもまた素晴らしいって思うのです。
 
このように、人の志に感銘を受けて動くようになるのも、そもそもその場にいるから感じとって動けるワケです。「その場にいる」ということは何気ないことです。だけど、「そこにいる」ということは、とてもとても大事なことですね。そして、決まった時間にいる。決まったことをさせていただく。こうなるとまた一歩進んだ状態で、御法のお役に立たせていただけているんだなぁって、実感できることでしょう。
 
感銘を受けて動くという連鎖。コトバで伝えてませんが随喜転教ですね。そして、よかれと思って動く心持ち。お互いによい影響を与え合って、それぞれのできることを越えて、またひとつ力を入れてやるようになり、自分の役割を知って動いています。この一連のありがたい雰囲気のはじまりは、ご高齢のご信者さんが身を以て示していただいた朝参詣でした。お父さんが寂光でニコニコして様子をご覧になっているように思えます。ありがたいです。合掌。
 
 
 
 
【6月24日(水)】  「 手作りマスク 」
 
ありがとうございます。
昨日、十条のご信者さんから手作りマスクをいただきました。ご高齢なのですが手芸がとても上手でいつも色々なものをいただいております。
 
ここ二ヶ月でご親族をお二人お見送りされました(コロナとは関係ありません)。ご高齢ゆえに、ご自分よりも年下の親戚をお見送りすることが出てきてしまいます。そんな中でもいつもお変わりなく淡々とお題目をお唱えされ、そしていつものように、小僧にもお気持ちを向けて下さいます。ありがたく、あつく御礼申し上げます。
 
月末には納骨がありますので、そのときにまた、御礼申し上げさせていただきます。どうぞ、日々ますますお元気でお過ごし下さいませ。合掌。
 
 
 
 
【6月23日(火)】  「 お送りする人 」
 
ありがとうございます。
コロナの影響の中、多くの方々をお見送りさせていただきました。ご家族に見守られながら亡くなった方。ご家族がなく一人暮らしをしていて病院で亡くなった方など様々です。ただお寺としてはどの方に対しても、同じように心を込めてお題目をお唱えしお見送りをさせていただき、以降もずっとお題目でお弔いをさせていただくのに変わりはありません。亡き魂が安らかでありますように、そう願わずにはいられないのです。
 
死は突然やってきます。分かっていてもやはり「急なことだったから」というコトバがでてしまうものだと思うんです。多くの方がそう仰る。そして悲しみの中で準備をして葬儀を執行します。ですから喪主や遺族は大変です。そして葬儀が終わると、葬儀中の慌ただしい雰囲気から一変して静寂が訪れるとともに、役所の手続きなど結構な量の諸々の作業が待っています。本当に大変です。
 
周囲は、ご遺族に対して弔意を伝え、またいたわりのコトバを伝えます。それぞれができることはなんだろう?やはり、故人の冥福を祈ってお看経をあげさせていただくことですね。これに尽きます。それぞれが安らかでありますように。合掌
 
 
 
 
【6月22日(月)】  「 東十条・神谷 高齢者あんしんセンター 」
 
ありがとうございます。
本日はお寺の境内にて、ゲリラで体操を行います。参加者はご近所のほんの数人です。みなさんコロナの影響で家にこもりがちですが、ちょっと集まって、サッと体操しましょうというお声がけでした。それで、「ゲリラ体操」と呼んでいるようです。
 
高齢者安心センター(地域包括センターのことを、北区ではこう名乗っています。区内の17カ所にセンターがあります)の方々、そして社会福祉協議会の方々が主催です。短時間ですが、なごやかな時間を過ごせるようにお迎えさせていただきます。
 
今後も続くようでしたら、局長室会議に計ってまいります。お役中方々には、そんなことでご理解をいただきたいと思います。よろしくおねがいいたします。
 
 
 
 
【6月21日(日)】  「 会計士の指導 
 
ありがとうございます。
本日は、事務局役員と評議員にお集まりいただき、常住寺の会計士より決算書の読み方について講義をしていただきました。
 
女性の会計士さんでとても穏やかな人柄です。いま毎月指導を受けている寺族の女性2人は、経理をやったことがありません。一からのスタートでした。この先生だから安心して指導を受けられると申しております。そういうご縁をいただけたことをありがたく思っております。
 
振り返るとお寺の会計は、現在もお元気でご奉公下さる当山の相談役と故・初代事務長のコンビで経理のやり方が改善され、公に通用する形ができあがりました。振り返るとお二人とも不惜身命のご奉公だったと随喜させていただいております。そして相談役は、事務長が残してくれたものを、多くのお役中が受け継いでご奉公できるようにと指導にあたって下さっています。
 
会計士の先生は経営コンサルタントでもあるので、現在は寺院の運営についても指導を受けています。やがて寺族二人で決算書を作成できるようになり、また、多くのお役中さんがお寺の経理状態を把握して、決算書から多くの情報を読み取り、ご奉公に活かせるようになるといいなぁと仰っていただきました。ありがとうございます。
 
今日は局長室会議も行いました。夏期参詣とお会式についての話し合いでした。別途、事務局役員と今後のことについて話し合い、夕方には地域のボランティア活動のネット会議も行いました。
 
日中、初七日のお助行に伺いました。大事なご家族を亡くされ、心身共におつかれのこととお察しいたします。バタバタした合間でのご奉公となってしまいましたが、事務的なことは、実はこういう現場でのご奉公がチャンとできるようになるための作業です。すべてのご信者さんが笑顔でありますように。不安なく和やかでありますように。そして、ご法さまの教えを信じ敬って習い、功徳を積んでいけますように。そう願ってこそ、事務のご奉公にも力を込められるのだと心得て進んでまいります。
 
 
 
 
【6月20日(土)】  「 親しく接していただけるありがたさ 」
 
ありがとうございます。
 
先般、十条連合のご信者さんがお亡くなりになり、葬儀をお勤めをさせていただきました。枕経、納棺も立ち会わせていただき、ご遺族とも割と時間をかけて会話する時間を持つことができました。
 
亡くなった方のお兄さまが色々教えて下さったのですが、そのお人柄のすばらしさもあり、故人のご生涯について聞き入ってしまいました。とても仲の良いご兄弟だったのが伝わってきました。いや、仲が良いのもそうですが、故人はご遺族全員に愛されていらっしゃったのだと思います。そういうのが雰囲気からも伝わってきたように思えます。
 
小僧に対しても、とてもよくして下さいました。こころから感謝御礼申し上げます。このように、親しく接していただけるのが何より一番ありがたいものですね。こういう巡り合わせをありがたく思います。
 
お見送りをされた奥さんも、本当に和やかなお方です。忙しかったお葬儀がおわって、そのあとの静寂はなんとも言えないものがあります。どうぞご自愛いただきますようおねがいいたします。小僧どもは心を込めて日々、そして忌日ごとに、ごいっしょにお看経をあげさせていただきます。合掌。
 
 
 
 
【6月19日(金)】  「 水道管の修理 」
 
ありがとうございます。
昨日はご奉公から帰ってくるなり、ちょっとしたハプニングがあったと報告を受けました。
 
厨房の水道蛇口がバカになって水道水が厨房中に噴き出し床一面が水浸しになってしまったようです(涙)。すぐに水道やさんに来ていただき応急処置をしていただいたとのことで、ホッとしました。ただし、同じ建物の別の水道からは錆びた赤水が出ています。しばらく水を流して様子をみますが、なにせ古いものですから今後も注意して見ておかねばと思います。
 
水道が壊れた時ちょうど、エクセルの使い方を指導をして下さっている方がお寺に来ていて、床のおそうじをお手伝い下さったそうです。よく見ると二人ともパソコンに向かって作業中なのに、ひざまでズボンをまくっておりました。この方はご信者さんじゃないのですが旧知の仲で、時折お寺にお参りされたり、10年ほど前は毎月、子ども向けの行事のご奉公をしてくださっていました。
 
「大変だったんだからねー」とのお言葉。 ホント、そうですね。
 
寺族なので率先してお寺を守る立場ですが、そういうことじゃなく、とにかく大変だったと思います。なので「ありがとね」と声をかけました。そして、ホント余計な一言ですが「ご奉公は、やったもん勝ちですよー」と伝えますと、「はいはい~」とお返事。分かってますよと言わんばかりに、にこやかに笑っておりました。いつものやりとりです。
 
血相変えて対処していたのが目に見えるようでしたが、そんなことがあった後でも、このように和やかであることに感謝した次第です。そして、和やかな雰囲気を得られたときに思うのです。すべての人々に、すべての物事に感謝しなくてはと。ありがたいです。ありがとうございます。合掌。
 
 
 
 
【6月18日(木)】  「 感染防止チェックシート 」
 
現在、本堂のサッシに網戸を取り付け、境内の植木を間引いて風通しを良くして蚊やハエが湧かないようにするなどの対策を行っております。衛生面での指導は、東京都の立場で食品衛生指導を行っているご信者さんから、毎々ご指導いただいております。今日もご指導いただき、感染防止のチェックシートをいただきました。
 
これは東京都のホームページに載っていると教わったので早速みてみました。いつもお教えいただき、まことにありがとうございます。下記のURLからチェックシートを見れますので、よかったらご覧下さい。
 
別件ですが、ここのところ、ちょくちょくご信者方々から色々なお声をかけていただいております。励みになります。(こちらがお声をかけなくちゃなのに、申し訳ないやら、ありがたいやら、です。)みなさまの暖かなお心に、随喜御礼申し上げます。合掌。
 
( PDF  新型コロナウイルス感染症の拡大防止 チェックシート 業種別 )
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/06/12/documents/23_01.pdf
 
 
 
 
【6月17日(水)】  「 開導聖人報恩お総講 」
 
ありがとうございます。
 
本日は開導日扇聖人ご命日報恩お総講が営まれました。6月に入っても寺内奉修のような感じで営まれておりますが、慌てず、そして確実に前に進んでいくイメージで今後のご奉公に取り組んで参りたいと思っております。
 
さて、植木の植栽も進んでいます。足下に生えていた草も、かわいそうでしたが間引いております。形がよく、きれいな草なのですが、これが年々増えておりました。自生しているのです。実際に抜いてみますと何か固い物がありました。土を払うと、なんと下からマンホールが出てきました。これには驚きました。その他、パンの包装紙とかビニールのゴミなどが根っこに絡まって出てくるのです。今日も45リットルのゴミ袋を10枚使って抜いた草木を処分しました。
 
秋には植木屋が入りますが、その前に、夏期参詣に向けて境内、そして庫裏と教務部の宿舎周辺の整理を進めます。また一汗かいてコロナ太りを解消したいと思います。合掌。
 
 
 
 
【6月16日(火)】  「 昭和から続いている計画 」 
 
ありがとうございます。
 
今日は昔話をいたします。小僧が小学4~5年生のころですので昭和52~3年だったと思います。ある日突然、赤羽駅南口が閉鎖されました。改札まで行くのには、一般道路から急勾配の長い階段を登りました。階段は屋外にあり、屋根ナシ。コンクリート製で横幅がウンと広かった記憶があります。この階段が、一般道との境目で閉鎖されていたのです。
 
これは、昭和40年代にはできていたと言われている、東京都北区の都市計画の一部です。子どもだった小僧には、このとき想像ができませんでしたが、実はここから、平成20年ころまで35年もの歳月をかけて行われる、駅と駅周辺の整備が始まったのです。
 
当時は、「南口が閉鎖されてると不便だなー。早く使えるようになるといいのになぁ」と思っていましたが、このころの南口の姿を目にすることはもう二度とありませんでした。
 
この都市計画については後日、資料を見ながらまとめて、あらためてここの記事としてアップしたいと思います。
 
さて、このように、生活の場面場面で、長期に亘って続いて成し遂げられるものが多くあります。また、目の前にあったものが突然なくなってしまい戸惑うことも決して珍しくはありません。ですから当時小僧はなにも分かっていませんでしたが、子どもながらに世の無常を肌で感じていたのだと思います。このことはいまでも鮮明に思い出され、み教えをまもること、そしてそれをずっと続けていくことでご奉公が成就するんだってことを、いつも思い知らされています。
 
都市計画はいちおうの完成をみましたが、実はまだまだ続いています。赤羽駅周辺ばかりではなく、沿線に沿って道が拡張され近隣の駅の再開発も始まっています。すべてがつながっている。それを長年かけて、この目で見させていただきました。すべてに感謝し、すべてが救われていくことが自分にも帰ってくるという教えと重なります。みほとけの教えって深いなぁと思います。合掌。