ほんもんぶつりゅうしゅう

仏教用語・信行用語

ざいけ
 出家にたいする語で在俗の人のこと。
ざいしょう
 罪によって起こる障り。罪とは妙法に違背し、人としての道に違え、信者がしてはならない誡めに抵触すること。障とは、さわり、さまたげという意。信行増進やご利生をいただく障りとなるほか、種々の悪い結果をもたらす因となる。
ざいせ
 釈尊ご在世のこと。すなわち釈尊がこの世にお出ましになっていた時代、とりわけ成道からご入滅までの期間をいう。
さんげ
 妙法に違背し、さらに自身でつくった謗法罪や懈怠を反省し、再びこのようなことを犯さぬと誓うこと。深い反省と改良を誓う。
さんごう
 身体と口と意(心)が行う善悪さまざまな行為のこと。「身口意の三業」ともいう。
さんぜ
 過去世(前世)・現在世(現世)・未来世(来世)のこと。
さんだいえ
 佛立宗各寺院で毎年奉修される高祖会、門祖会、開導会の三大会のこと。
さんどく
 末法の凡夫がもつ、貪欲・瞋恚・愚痴という三つの毒、根本の煩悩のこと。  貪欲は欲を貪り求める心のこと、瞋恚は自身の意に逆らうものにたいする怒り、怨みの心のこと、愚痴は物事の因果の道理を弁えない愚かさ。「三毒強盛の凡夫」等と使用する。
さんぶのにょせつしょう
  日蓮聖人の「観心本尊抄」「四信五品抄」「如説修行抄」の三抄のこと。  「観心本尊抄」は文永十年四月、五十二歳のとき佐渡一の谷で著された御書で、末法のわれわれがお持ちすべき御本尊を定められた御妙判である。  「四信五品抄」は建治三年四月、五十六歳の時身延で著された御書で、法華経を修行する者の心得を、法華経分別功徳品に説かれる四信五品の教えに基づいて示されたもの。  「如説修行抄」は文永十年五月、佐渡において著されたもので、末法における修行のあり方とその覚悟を述べられたもの。
さんぼう
 仏教徒が大切にすべき三つの宝「仏・法・僧」のこと。  仏とは法(真理)を悟られた方、法は仏の悟られた真理、僧は仏の悟られた法、すなわち教えを持ち弘める人、あるいは人々の集りを意味するが、当宗の教えにあてはめると、仏は久遠本仏、法は上行所伝の御題目、僧は本化上行菩薩である。
さんりき
 仏力・経力・信力のこと。仏力は仏の救済力、経力は御題目に内含される法華経の功徳力、信力は祈り行ずるものの信心の力で、この三力が交流感応することを三力和合という。
さんるいのごうてき
 法華経の修行者を種々の形で迫害を加える三種類の敵人のこと。すなわち俗衆増上慢(仏法に敵対する一般の人々)、道門増上慢(真実教に敵対する僧侶)、僣聖増上慢(聖者を装いながら真の仏教者に迫害を加える者)の三者をいう。
しかどのだいなん
 高祖日蓮大士が受けられたさまざまなご法難の中でもとりわけ大きな四度のご法難のこと。「伊豆伊東のご流罪」「東条小松原のご法難」「龍の口のご法難」「佐渡ご流罪」がこれにあたる。
じっかい
 十界の世界、境界のことで十法界ともいう。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏。このうち地獄・餓鬼・畜生を三途と称しこれに修羅界を加えて四悪趣という。また地獄から天上の六界を六道といい、声聞から仏の四界を四聖という。
しゃくぶく
 折伏の語義は「破折屈伏」という。「折」は破邪の意で、間違った考え方をうち破ること。「伏」は顕正の意で、正しい道に帰伏せしめ、導き従わせることをいう。末法は方便権教の教えに執着している諸宗の誤りを指摘する必要と、未下種の凡夫に妙法を持たしめる必要から折伏行を重視するが、折伏はあくまで慈悲の表われであることを弁えなければならない。
しゃくもん
 法華経二十八品のうち前半の序品第一より安楽行品第十四にいたる十四品を迹門という。久遠本仏が開顕された本門からみれば法華経の前半十四品は本仏の本地から化現された垂迹の仏(歴史上の釈迦)の法門であるから迹門という。
しゃっくるいとく
 「功を積み徳を累ねる」と読む。功徳を積み重ねること。
しゃばそくじゃっこう
 上行所伝の御題目を我も唱え、他にも勧める菩薩行の実践によって迷いの娑婆がそのまま寂光に転化することをいう。
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