ほんもんぶつりゅうしゅう

仏教用語・信行用語

ほけきょう
法華経
法華経は「諸経の王」「最勝の教え」「真実の教え」といわれ、仏教経典の中では、昔からもっとも広く尊崇・信奉される経典です。日本でも古来より聖徳太子をはじめ、多くの人々が魅了され、アジア諸国、その他世界中の人々の信奉を集めてきました。

 歴史上インドにお生まれになったお釈迦さまは、30歳の時に成道(成仏を果たすこと)されて以来、80歳でお亡くなりになるまでの50年間、実に様々な教えを説かれました。そしてご晩年の8年間に、集大成とも言うべき「法華経」をお説きになられます。その際に、お釈迦さまはまず聴衆に対し、こう言いました。
 「これまで、様々な教えを説いてきたが、実はそれらはすべて仮の教え、方便の教えであって、未だ真実の教えを説いたことはない。素直にこれまでの方便の教えを捨て去り、これから説く真実の教え、法華経のみを信じ、頼りにして、修行に励みなさい。決して、これまで説いた他の教えの一語一句をも、頼りにしてはならないぞ」

 法華経を説かれるまでの40余年の教えは、すべて法華経を説かんがための前置き、つまりご自身の真実の教えを理解させるための、いわば育成段階の仮の教えだったというのです。これらが今日、華厳経、阿含経、大日経、阿弥陀経などの数え切れない御経となって残されています。これらをまとめて「法華経の爾(そ)の前」に説かれた教えとして、「爾前諸経(にぜんしょきょう)」と呼びます。法華経の前に沢山の爾前諸経を説かれたのは、いきなり小学生に大学受験の問題を解かせようとしても無理なことと同じだからです。つまり仏さまは、自身が覚られたその世界観、その修行方法を、法華経の中でお明かしにるにあたり、それを理解させるために40余年の間、人それぞれに合った育成の教えを説かれたのです。

 その爾前諸経の一つを選んで、「同じ仏さまの教えだから有難いに決まっている、功徳がいただける」と豪語し、それを崇拝しても、所詮その教えは準備・教育段階のためだけの内容でしかありません。その教えに従って修行に励んでも、功徳を積み、成仏というゴールには決してたどり着くことはないのです。

 そんな、仏さまの成仏の秘訣が説かれる法華経……全部で28品(ほん=「章」の意)に別れて教えが説かれていますが、前半の14品を「迹門」、後半の14品を「本門」といいます。これは、大きく分けて2つの内容=教えが説かれているということを意味します。

 迹門の「迹」という字はアト・カゲという意味で、法華経自体が真実の教え、集大成の教えとはいいながら、その中でも初めの迹門では真実の足跡・影を示されたもの、というのです。

 本門とはいうまでもなく、本物、実物というわけであります。真実という点からいいますと、影も実物も、爾前諸経の権(か)りの教えと比べればまったく違うわけでありますが、しかし実物でなく、その影であれば、効用(ききめ)は爾前諸経と同じように"ない"ということになります。

 それでは迹門と本門とは一体何が違うか、簡単に説明すると、まず迹門と本門とでは説かれた時の「仏様のお姿」が違うのです。迹門の教えを説かれたときはまだ、迹(かげ)のお姿であられました。というのは、仏様という方は、われわれの常識からしますと、いまから約3000年前、インドにお生まれになり、19歳で出家、30歳で成道、80歳でご入滅された、歴史上のお釈迦様の事を指します。爾前諸経と法華経迹門までは、この仏様のお姿で法を説かれました。

 しかし、実はこれは仮りのお姿であります。ただ一切衆生を教化されるために、人間として生まれ、悟りを開くという姿を一時的に示されただけで、本当は、既に久しく遠い昔に仏様であられたのでした。この本当の姿を「久遠本仏」といいます。本門の如来寿量品第16において、仏様はその本当のお姿を現されるのです。