ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2017-03-11 10:02

事行山録3月 無常の覚悟で

 昭和二十三年三月号通信の「総裁の言葉」は「私の駆け出し時代」という題名の原稿で、昭和三十年、本山にあがった頃のことが書いてありました。その時分、本山の前には「チンチン電車」が走っていた事などが書いてあって楽しく読み返しました。今は北野には北野車庫
はなくなっています。ただし明治村には思い出の電車が運転をされはいますので、それを見ると、いとど深い感傷に襲われます。「良く生きたものだ」等と独りごとを言っています。確かに世間の格言に言う「走馬灯の如く」日々は過ぎ去りました。
人生走馬灯の如し
 所で今年に入って、総裁は今後の事を少し深刻に考える様になりました。人生と言うものは過ぎて見ると思ったより早く過ぎ去って行ったものだと思います、一年の時間は変わらないのですが、やけに感傷的になっています。「再度の人界受生の思い等こんな所から出てきているのか」等とも思う事があります。保証されている訳ではないのですが、今年を入れて四年間ぐらいの生きざまの事ですが、考えてみますと「これは忙しい事だ」と思いますし「寂しいよりも恐ろしい様な気持」「何をどうしようか」との思いは色々に飛びかいます。残余の時間を区切って見ると、一日の過ぎるのが本当に早く感じますし、自分の力不足に情けない思いがいたします。
 昔「少年老い易く学成り難し」なんて言ったって、「絵空事の様な感じ」だったし「緊迫感がなかった」様に思うのですが、近頃は日の暮れるのが早く感じてしまいます。お互い仕方のない事でしょうが、今は「棺桶の中に入っている自分」を思って後悔のホゾを噛む思いを押しつけられる気がします。こんな事を思うと、残された春秋は尊くかけがえがないと思います。現実は厳しいのですから「相当、根性を入れないと…」と鞭打つわけです。残された時間が限定的とすれば、今後御信者さんとどんな形で生きさせて頂くかを考えなければの思いが募ります。
今年から四ヵ年計画
 今年から四ヵ年計画を立ててご奉公に入ります。古参信徒は多く先立って見えますが、開拓すれば法灯相続のご奉公広場は広くある事を思います、血肉や骨を刻み込んだこの聖地妙堂を確実に手渡しして行かなければならないと想う思いは広く深くなければなりません。勿論来世ご奉公の誓願を持つ事は当然な事です。「人生一炊の間」は有名な言葉です。良く味あって見なければいけません。若い人は、特に思いを馳せて頂きたいと思います。
ご教歌
 こんどめに 裟婆に来た時
   また申す 法門無尽 誓願智