事行山録11月・今秋は恵みの中

 私にとって一年の季節で忙しくない季節はないといえますが、今年の中では、秋が一番忙しく、睡眠時間を削っています。止暇断眠と迄は行きませんが、私の人生の中で今回が最右翼の繁多である様な気持ちがします。しかし本当の所は「全ての面で力が落ちて来たのではないか、コマの舞い倒れとか、一人漫才をしているのではないか」と言う疑念を持っている事は確かです。又「人の力が集まらない、集められない劣化を急に起こしているのではないか」と言う不安が自分を余計に責め立てる様な気持ちがするのです。長い間一人で仕切った様な感じで外護をして頂いてきた面が多かったので、こんな不安を抱えるはめになっているのではないかと、自分を責めてもみています。こんな調子では「臨終の時はどうする」などと言う思いも強まっているのです。しかし御信者さんにすれば、指揮官のまずさが「動きにくさを呼んでいる」と感じて見えるのかもしれません。私達の人生は取り返しがきかない事に多く遭遇するので、そこをきめ細かく考えた対処をして行く事が大切と言えましょう。御指南には「まず臨終の事を先に習え」と教えられていますが、残りの少なさと、処理事項の多さを対比する時、この御指南は身に切り込んでくる「鋭利な刃物の対処する様な気持ち」がします。晩年になって「もっとやれたはずだった」と反省や後悔はどうしても、誰もが持つのは通弊かもしれないとしても、「次の世の宿題として置いてよいではないか」等と言う心弱さに逃げ込むのは我ながらに情けなく思います。過ぎて見ると人生八十余年、非常に短かったと思い至ります。

 ふと身の回りを見ますと、農家の人達が最後の刈り入れに励んで見える姿が目に入ってきます。稲のたわわな実入りを見ますと「稲たちに行ってきた一生懸命の実りへの努力」に拍手を送りたくなってしまいます。昔は「腰の痛さ」に悩まされての「稲刈り」でした。今は機械化されて痛さから解放されて来てはいますが、今度は「TPP」の胸苦しさが出て来ているので、「楽には生きられない」の思いは募ります。稲にはどれほど沢山の力がかけられたのか計算はできませんが、それがあっても笑顔です。諸天善神よ今少しこのたわわな実りを守ってやってほしいと「コンバインの音」を聞きつつ秋空に祈っています。お店には「努力の結晶」である「新米」が、多種の名前で出て来ています。楽しみな御米屋さんの前です。ふと昔「日本には何千万石くらいの収穫がないといけない」等と言う言葉がありました。又「一反で何俵取れたから」等という言葉がありました。「八俵も取れた。こんな豊作めったにない」と顔をほころばせていた百姓さん達の笑顔は忘れません。恵の大きな力を感謝されていたのです。

 そういえば私も今年の秋、皆さんに刈り入れて頂きました。御師匠様は勿論、六十余年前背中を押して下さった多くの御信者は寂光です。私は「見て、先ずはやり通しましたよ」と声を出したい今年の秋でした

 

 

 

信厚寺管理者 [事行山録] 2015-11-08 07:46:00

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