ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2017-08-05 08:35

2017年8月事業山録 創立40周年を迎える思い(第2回)

 今年の秋に信厚寺創立四十周年を迎える記載をさせて頂きます。これについて色々な意見が出ましたが、「記念法要と言うのであれば、常識的には『五十周年が至当の年設定』ではないか」等の意見があると言う事です。一般的には「極常識的な意見」と言えるでしょう。しかし住職が皆さんに諮って「四十周年を実行」に賛同して頂きました。その説明の筋は次の様なものでした。  創立五十周と言う年にとしますと、古参信徒がどんどん見えなくなってしまわれる。残り少なくなっている歴史の証明者、功労者と言う人達が少なくなると言う事は、証明者がいなくなる訳ですから「事実証明の網目が荒くなる」と言う見方が出来、強い憂いが出てくると言えます。多くの信者が一生懸命生きた歴史、信心の旗を振った日々、それを少しでも鮮明にして置く事は、信厚寺の歴史を疎かにしてはならないという信者の思いの現れと言えましょう。大切な証拠の資料も、声の録音も、画像も、頭の中に記されている事象も、失ったら二度と手に入らないと考えて置いても、神経質過ぎると言う事はないと知るべきでしょう。 古参と言えば  実は私もその一人ですが、ほとんど人が居なくなってしまう近頃に『責務を負う者』の一人になる事に間違いは有りません。嬉しかった事や仲間の事等、思い出が語れる人が一人でも多く見える内に、喜び事はやっておきたい。語り残しておいて頂きたい思いが強いのです。「老少不定」の定めで忙しい。後代に語り残して置いて頂く事は沢山あった方が良いと考えての熱い想いも有るのです。知らない事は語り伝え様が有りませんし、感謝の思いを伝える事も出来ません。  所でこの原稿を書いていましたら、有名な日野原重明さん死去の報道が入ってきました。有為転変無常のこの世に百五才迄医師として責務を尽くされて、生まれ甲斐を果たされた様です。今後命を尽くされた日野原重明さんの生きざま、御伝記は色々な御話が伝えられる事でしょう。私達今の信者が、今後後世の人の為に「努力の尊さ手渡し」に思いを馳せたいと思うのです。詳しい事を知らない今の子供達への「御法様から頂いた勲章の輝きみたいなものを」見て貰いたいとも考えているのです。  こんな思いを沢山込めての催しが成功するか否かは引き継ぐ者の器量に依るものと思います。今既に半世紀のご奉公歴史を語れる語りべは若干の人数です。決して無駄事をしようとしているのではありません。逆に若い人は「自分達の作る歴史に思いを馳せて頂く事」は願う所です。どうかこんな思いで五年単位の企画をする思いに賛成して下さい。機関車を走らせましょう。  記念法要の内容などは、少し考えればそんなにむづかしい事ではないと思うのですが、皆さんが一生懸命生きた「歴史の重み」を濃厚にさせて頂く様に頑張りましょう。