ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2017-07-09 09:14

事行山録7月 創立40周年迎え(第1回)

 今秋御奉公の大きな焦点は表記の事です。信厚寺は昭和五十二年一月、本寺建国寺から独立をして「御奉公を開始」しました。ですから四十年間の月日を経た事になります。「十年ひと昔」と昔から言いますから、やはり反省と再踏み出しの機会と今年を受け止めたいと思います。四十年を経ますと、社会も家庭も世界も大きく変貌をしています。ですからこの月日を良く検討して、時代遅れにならぬ様に手を尽くす事が大切でしょう。只考える形ですが、「十年間一単位活動企画を考える」「十年企画を三期に亙って一応考えてみる」「この十年間で出来た事、出来なかった事の分析をして見る」と言った所に目を向けて見たいのですが、見方によっては「十年では長過ぎる」と言う見解もあるかも知れません。「五ヵ年計画」くらいが至当では無いかという見方もありましょうが、いずれにしても皆さんで「顧みる事」は大切です。

区切りは変わる 
 十年か五年かの意見の相違はありましょうが、一人一人で言えば、若い時と高齢になってからとでは、時間設定感覚が変わるかも知れません。社会の動き、変化に影響を受ける状態を思えば、期間の長さはいずれにしても微調整をかけて行かなければならないでしょう。最近の平均寿命は男女共に八十歳と言う所です。ですからそのへんを目途にして思考の中にいれておく事 は大切な所でしょう。’明治初期の頃の平均寿命に比べるとヽ二十一歳程伸びていると聞いた事はあります。それにしても人間を動物のひとつとして見る時「平均百才」は無理でしょう。そう思うと「心せわしい」事です。「この辺が締め切りか」などの思いが募るかもしれません。人生の線引きはむずかしいものです。今回のご奉公は私たち信厚寺が独立してから「四十年を経った」と言う事ですが、この場合は十年一区切りで考えてはいます。年の過ぎ方の早さと世の変遷の大きさには驚くばかりです。例えば、今、出発時に基石となられた方の多くは、寂光に帰っています。

苦心談を糧に明日を考えよう
 所で、今の私達はお寺を充実発展させて頂きました。それは褒められるべき事ですが、問題は「今後をどの様に考えて効果的と言われる手を打つか」の点を考えて、後代の人に渡して行く実践活動に入らなければいけません。本堂、会館共にお計らいを頂きました。今私達はやはり十年先を真剣に考え
て用意をしなければいけないでしょう。先輩が基本金を残していってくれた事に思いを致さなければいけないでしょうが、大きく揺れ動く時代に、お寺の運営は今、中々厳しい状況にあると言えます。しかし昔もその苦労はあったのです。社会状況は先輩の時代とは変わってきているという事はありましょうが、昔も厳しい中の活動であった事は変わりありません。私達は常に明日を考えて活動を続ける事が大切なのです。今年は四十周年を迎えるのですが、今を生きる私達は、明日を考えて「日々新たな気持ちで」御奉公し対峙したいものです。私達の魂はきっと、その明日に又また生まれ出て活動させて頂く事になりますから。今回の創立四十周年の日はもう迫っています。