ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2015-10-04 08:26

事行山録 10月 防人の歌

 終戦記念日が過ぎても、世間ではまだ「戦後七十年」の言葉がいきいき動いています。長い論文等も発表されています。やはり論は、十人十色の考え方が出てきます。色々な形があるにしても、戦争経験の有無、戦後教育と戦前教育との違い、数えればきりがありません。現に世界では今も戦争の愚行があり、多くの悲劇が起こっています。報道などリアルです。今欧州では難民の流動で大騒ぎですが、受入国の善意だけで事は解決するようには思えません。戦争とは、げに無惨です。人類歴史は何年前から始まったかよくはわかりませんが、この地球上で戦争のなかった時間帯や地域などなかったといえるのではないでしょうか。
戦争の悲劇は常に弱者の上に・・
 日本には「萬葉集」という古い歌集があります。この歌集は天皇から一庶民までの思いのだけが集められていると言うものですが、この歌集の説明する事が本意ではありませんから話を進めます。「戦後七十年受け止め方」について多く意見が出て決着がつきませんが、ふと「なぜ戦争が止められないのだろう」と素朴な思いを持った時に、ふと日本古代の歴史の中に、外国と戦った歴史があって、多くの庶民が戦争に駆り出された事がありました。子供や夫との別れを悲しむ苦悩は、今も昔も変わらないのですが、その悲しみを、別れを歌ったものを残している事は、日本人の多くの人が知っています。古今集は千五百首、萬葉集は四千五百首と学校で教えられた事を覚えています。
 近日ふと「防人の歌」にどんなのがあるだろうかと「戦後七十年」の言葉に連れられて紹介本を読んでみました。その中に色々「防人の歌」は紹介されてぃましたが、思った事は「今も昔も同じだ」という思いでした。どんな戦争も色々な理屈を言いますが、今の所「愚かな人間の性か」と思ってしまいます。
 防人の歌を読んで居るうちに、次の二歌が何故か目を射ました。
   「島守に、吾が立ち来れば・・父の命はたくづのの 白髭の上(うへ)ゆ、涙垂り嘆きのたばく云々」
 また
   「我が母の袖もち撫でて我が故(から)に泣きし心を忘らえぬかも」
学ぶべき過去
 戦争が終わって「七十年」は夢の間に過ぎた年月、「平和ぼけ」という言葉がありましたが、ぼけていたのではありません。国民は努力をしてきたのです。確かに世界情勢は七十年前の「厭戦気分」の気分が変化はしているかもしれませんが、しかし戦後間もなく「国連に、原爆禁止を」と仏立第十一世御講有梶本貌下は建白書を出されて見えます。戦後いろいろの諍いがあり、戦争が起こったけれど、原爆の破裂がなかった事はありかたい事です。人と生まれ生きられるのは七十年か八十年、八十年余を私は生きましたが、古い言葉には「人生は一睡の如し」です。平和でもっと生きたいと思います。世界の人はみんなで共存したいものです。生きる為の哲学や宗教がそれを阻むものであれば変える勇気を持つ事が大切な所に来ているのではないかと思います。仏様は「殺すものは殺される」と教えられています。