ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-26 20:38

7月26日の隆宣寺日記

父が亡くなる数日前、「この件については、どうしますか?」と聞いた時に『全部、お前に任せる』という返事が返ってきました。《任せる》ということは、その相手を信じ切るという態度です。そうでなければ「任せる」とは言えないはずです。
 
たとえば「昼ごはん買いに行きますけど、何にしますか?」と聞かれて『ん〜、任せるよ!』と言っておきながら、手渡された弁当を見て『え〜、これかぁ〜』という一言。買って来た人にすれば「任せるって言ったやないか!」という心境です。いわば、その《任せる》は全くもって《任せる》ではなかったということ。
 
以前「任せて安心入院保険」という商品がありましたが、いわば、この保険にさえ入っておけば何も心配ない!だから、是非お任せください!ということです。でも、それで本当に安心できる人はどれだけいるでしょうか。どこか願掛けというか、気休めのような感じが否めません。
 
「仏様に任せる」という態度は「仏様を信じ切ってる」ということです。そうでもなければ、自分の人生を預けることなんて出来っこありません。でも、そういう態度であるからこそ、本当の救いがあるのです。そこれそ、自分にとって不都合、気に入らないとなれば『え〜、これかぁ〜』と言うつもりであれば、信じていない証拠。つまり、始めっから任せていない証拠です。
 
余命いくばくもない父が、私に『全部、お前に任せる』と言ったのには、相当の覚悟と、信頼があったのだと思います。私ならば、ちゃんとやってくれるという確証が父の中にはあったということ。極まった状態だからこそ、信じ切れない相手には《任せる》とは言えないはずです。
 
皆さんは、本当に信頼できて、信じ切れる相手はいますか?つまり、自分の全てを任せられる相手はいますか?それこそ本当の困った時、大変な時に、自分を委ねられる相手。お寺には、その期待に応えてくださる仏様がいらっしゃいます。そして、全力でサポートしてくれる同志、仲間がいてます。是非、お寺で任せてみませんか?
 
*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です
☆朝参詣御法門【ここをクリック】(YouTube)