ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-01 10:13

9月1日の隆宣寺日記

以前、外出している時に、若いご信者さんとバッタリ出会いました。お会いするのは、いつもお寺だったので、私の私服姿は初めてです。その方は「えーっ!」と少し驚いた様子で「ジーパン履くんですね♪」と。お寺で法要の際は袈裟・衣の姿ですから、お寺でしか会ったことがなければ、私のジーパン姿は、なかなか想像できなかったのかもしれませんね。そこで『私はピザが好きで、難波にお気に入りの店があるんですよ♪』と言うと、「え〜〜〜っっ!!イタリアン食べるんですかぁ〜〜〜〜!!」という反応でした(笑)
 
こんな具合に、お坊さんに対する「謎」は皆さん色々とあるようで、一般の方から色んな質問をされることがあります。「お肉は食べてもいいんですか?お酒は飲んでもいいんですか?」「お寺で写経をしたり、座禅をしたりするんですか?」「難しい御経を、毎日たくさん勉強しないといけないんでしょ?」子供の頃、よく言われたのが「松本の家には、滝があるんやろ〜!」でしたが、街中に滝があるのはGACKT(ガクト)さんの家ぐらいじゃないでしょうか(笑)
 
私自身にしてみれば、なんでもないことでも、お寺の中を知らない人、お坊さん事情をしらない人にすれば、こういった素朴な疑問を感じたり、漠然とした「お坊さん像」というのが、それぞれにあるもんなんだなぁ〜と気づかされます。でも、これらは私達お坊さんが好き勝手にやってることではなくて、やはり、仏様の教えという基準が必ずあるのです。そのため、どの御経、どの教えを信仰するかによって、自ずと違いが出てきます。
 
そもそも仏様は悟られた内容は《この世の真理》であり、それは唯一無二、たった1つしかありません。ただ、それを伝える【相手】によって、仏様は教え方を創意工夫されたのです。つまり「伝えたい内容」は1つですが、「伝わる方法」は人や時代によって違うということ。こを意識しない、つまり、今を生きている人の特性を見極めずにいたら、どんなに素晴らしい教えであっても【相手】には伝わらないことになります。いわば「労多くして功少なし」で、苦労した割には効果が少ないという結果。実は、ここを曖昧にしないで、厳格に判断されたのが日蓮聖人なのです。
 
難しい話は横に置いて、もう少しだけ話を進めてみますと、お坊さんは決して特別な存在ではありませんし、特殊能力もありません。もちろん、ご信者さんに比べたら、一生の大半をお寺のことに費やすので、それだけ「徳がある」「徳が高い」という風に思われるかもしれませんが、それを言うなら、お仕事をしながら《お寺》《教え》を守るご信者さんだって、それだけ「徳がある」「徳が高い」ということになります。いわば《お坊さん》と《ご信者さん》というのは立場の違い、役割の違いなのです。
 
そうやって《お坊さん》と《ご信者さん》が二人三脚で1つの教えを守り続ける。お坊さん任せでもなく、ご信者さん任せでもありません。お坊さん、ご信者さん、それぞれ立場は違いますが、同じ教えを同じように信仰する。どちらかにだけ戒律があったり、どちらかにだけ特殊な修行が必要だったり、どちらかにだけ大きな負担がのしかかったり、というのは違うのです。これもまた誰かが勝手に言って、勝手にやっていることではありません。仏様が晩年に説かれた法華経、誰もが幸せになれる御経に基づくことなのです。
 
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)
★夕看経御法門は【ここをクリック】(YouTube)