ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-21 09:47

7月21日の隆宣寺日記

「苦しい時の神頼み」
辞書を引くと「日頃は神も仏も拝んだことがない信心のない者が、苦しい時や困った時や災難にあったりした時にだけ、神仏に頼って助けを求めて祈ること」と書いてあります
 
どちらかと言うと「困った時にしか手を合わせない」という姿勢を否定的に表現している言葉で、我々人間の身勝手さを非難している側面があります。いわば「困った時に助けて欲しいのなら、普段から拝んでおくのが筋だ」ということです。これは神仏だけに限ったことではなくて、普段は全く連絡をしてこないのに、困った時だけ「家族、友達、仲間」と言い出して、連絡をしてくるのも同様で、本当に「家族、友達、仲間」と言うなら、普段から苦楽を共にするのが本来です。
 
ただ、信じ始めるには、それぞれにキッカケ、タイミングというものがあって、何の理由もなく、何の目的もなく信じ始めるというのは難しいことです。なぜなら、普通、自分の人生は《自分の力》で何とかするものであり、《自分の力》で何とか出来るものだと思うのが一般的な考え方です。だからこそ、何もないのにお寺に行く、手を合わせるというのは、極論、何ら意味をなさないという考えになるのではないでしょうか。
 
そういう意味において「苦しい時の神頼み」は決して特殊なことではなく、人間であれば、誰もが持ち合わせている一面なのだと言えます。そう思えば、むしろ「苦しい時」こそが、大きなキッカケであり、このタイミングで「信じない」「信じたくない」「信じようとしない」態度を「信じる」「信じたい」「信じようとする」に変えていくことが大切。周囲の人は、ここでしっかりとサポートすることが必要です。
 
人生には色んなことがあります。辛いこと、苦しいこと、悲しいことも必ずあります。でも、それらは「信じ始める」ためのキッカケと受け止め直すことができます。ただの不幸で終わらせるのではなく、それが次の幸福につながっていくように、今こそ手を合わせて、信じ始める時なのです。
 
*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)
【参考】 
『テラコヤスコラvol.16 ブラジルの仏教 講師:コレイア教伯(日友)師』
2回目の御法門で紹介したコレイア御導師のお話です。質疑応答の部分で、一般の女性が「信じる」ということについて質問されます 。それにコレイア御導師がご自身の「信じ始めた時」のお話をしてくださいます
★動画は【ここをクリック】(YouTube)