ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-28 13:26

12月28日の隆宣寺日記

お金そのものには何の感情も無ければ、意図も目的も思惑も一切存在しません。存在するのは、お金に対する私達人間の感情や意図、目的、思惑のみです。決してお金が私達の心を揺さぶっているのではなく、私達人間が揺さぶられているだけ。どんなに人生経験が豊かでも、どんなに勉強ができても、心の鍛錬ができていないと、お金で大失敗をして、信用や信頼を失い、地位も名誉も失い、犯罪者にまで成り下ります。

 

このように、お金そのものは無くてはならない大切なものですが、お金で失敗する危険性が、私達の心に潜んでいることを心得ておかないといけません。もっと言えば、そういう危険性を無くしていくために、きちんとお金が取り扱えるだけの、本当の意味での「大人の心」「一人前の心」を養っておく必要があるのです。それは経済学でも金融学でもなく、仏教を通じて体得する「人間学」であると言えます。

 

全く同じ千円を使うにしても、自分自身を高めていく使い方や、世のため人のためになる使い方。反対に、自分自身をダメにしていく使い方や、人に迷惑をかける使い方だってあります。たとえ、これらを知識として身につけていたとしても、実際その通りにできるかどうかは別の話。「わかっちゃいるけど、やめられない」これが人間の本性であることを忘れてはいけませんし、そんな自分であることを甘く見てはいけません。

 

本来お金を使うのは人間ですが、案外、お金に使われてしまっている人は少なくありません。学校や仕事で学ぶお金の話だけでは、やはりお金を使う私達の心までは養えないのです。お金を使う《人間の心》まで成長させようと思えば、やはり、仏教による学びが必要で、それは単なる理論・理屈ではなく「信心修行」を通じて、ちゃんとお金が使える心を培っていくのです。なくてはならない「お金」を、いつだって正しく使えるように、お寺で自分の心を成長させよう♪

 

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