ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-22 09:54

7月22日の隆宣寺日記

仏教には「信解(しんげ)」という言葉があります。意味は「仏の教えをまず信じることによって、その教えを理解し、自分のものにすること」です。つまり、理解する前に、納得する前に、とにかく《信じる》ことが第一歩だということ。そして、その《信じる》とは、教わる通りにやってみる、行動することで、いわば「教えの実践」によって「教えの理解」ができるようになってくるのです。
 
これが簡単なようで、実に難しい。特に、現代人は「まず理解する」「まず納得する」という姿勢ですので、いわば、いつもと反対のことをしなければなりません。先生や上司から「つべこべ言わずに、言われた通りにやりなさい!」と言われるのも、もしかしたら「時代遅れ」「時代錯誤」と言われてしまいまそうです。その点で、現代人は仏教、ご信心に取っ付きにくいのかもしれません。
 
でも、病院にかかり、薬を処方された時に、わざわざ薬の成分をすべて理解してから飲む人は、あまりいないと思います。それこそ先生を《信じて》言われた通りに、用法容量を守って飲むだけです。そうすれば、何一つ知恵を使わずに、薬の効果を得ることができます。ただ、最近ではインターネットに色んな情報があるので、中には、先生に意見する人や、あれこれ悩みすぎる人もあるようです。
 
私達が一生の間に手に入れられる知識や、身につけられる技術には限界があります。全ての分野において、自分で知識や技術を手にするなんて、どんなに時間・体力・お金があっても足りることはありません。結局は、どれも中途半端になってしまい、自分らしい人生も歩めません。だからこそ、それぞれの分野にはプロフェッショナルがいて、それらをお互いに提供し合って、お互いに助け合い、補い合うことが、みんなが充実した人生を送る上で、とても大切な心構えだと言えます。
 
極論、仏教は心で感じる《苦しみ》を緩和し、取り除くために説かれたものです。生きていく上での様々な出来事は、なかなかコントロールできません。老いることや死ぬこと、大切な人との別れやイヤな人との付き合いなど、こちらの思い通りにならず、避けて通れないことも山の様にあります。しかし、それらを心でどのように受け止め、どのように感じるか、そして、未来に向かってどう生きていこうとするか。これらは全て私達自身でコントロールできる範囲内で、いわば、幸せも不幸せも、苦しみも楽しみも私達の心で生まれます。
 
仏教とは「人生のエッセンス」そのものです。それを頭で理解し、心で納得してから《信じる》というのではなくて、まずは《信じる》《信じてみる》《信じようとする》ことがスタートラインです。そして、それは教えられた通りにやってみること、行動してみること。仏教、ご信心は「やってみてナンボ」「救われてナンボ」の世界!だからこそ、単に理論・理屈ばかりをお伝えするのではなくて、常に手段方法を説いて、皆さんに実践することをオススメしているのです。
 
なぜなら、仏教の「本当の理解」「本当の納得」は、実際にやってみた上でしか得られない、たどり着けない境地だからです。それまでは「わかったつもり」「知ってるつもり」でしかありません。だからこそ、いつまで経っても《信じ切る》ことができないのです。そう思えばこそ、やはり「信解(しんげ)」が大切。さぁ、今年の夏は、お寺で《信じる》のスタートを切ってみませんか?
 
*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)