ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-17 10:21

7月17日の隆宣寺日記

「万が一のことがあったら…」
そういう思いを持ったり、その危険性をイメージすることは大切です。事前に対策を考え、準備することができれば、それだけリスクも軽減できますし、実際に、万が一が起きたとしてもスムーズに対応ができます。
 
しかし、この「万が一のことがあったら…」に縛られるのは良くありません。私達の命も、この世の中も全部、仏様からご覧になれば、シャボン玉のように脆(もろ)くて、儚(はかな)いもの。だからこそ、大切にしなきゃいけないのは当然のことです。
 
でも、その大切にする方法を間違えてしまうと、大切にしてるつもりが、大切にできていない。むしろ、折角の命を台無しにしてしまってることすらあります。それが「万が一のことがあったら…」に縛られるということです。
 
たとえば、シャボン玉が割れないようするといっても限界があります。「頑丈な箱の中に入れて厳重に守る」だなんて、どれだけバカげているか、きっと誰もがわかることです。それよりも大空を舞い、太陽の日差しで輝くシャボン玉は、実に美しくて「それでこそシャボン玉」と言えます。
 
私達の命だって同じです。3年前に息子が生まれた時に「何があっても守りたい!」と思いました。それこそ当時の私は「別に幼稚園に行く必要はないやん」「小学校に入るまで家で面倒見たらええやん!」とすら思っていました。でも、息子と共に成長するたびに、その考えは変わってきました。
 
私達の命はシャボン玉のように脆くて、儚いけれど、その命が輝く場所であったり、イキイキとする生き方があります。そして、そこには必ず「万が一」は付き物です。たとえ、どんなに頑丈な箱の中で守っても、そこにも「万が一」はあります。ならば、どこで「万が一」を背負いつつ生きる方がいいのか。いわば、命の使い方、命の活かし方を考えないといけません。
 
新型コロナの対策を取ることは、自分のためだけでなく、みんなのためでもあり、社会全体のためでもあります。しかし「万が一のことがあったら…」に縛られてしまって、命の輝きが失われることがあっては、まさに本末転倒、元も子もありません。「万が一」は、いつでも、どこでも、誰にでも必ずあります。ならば、命が輝く場所で、イキイキと「万が一」を背負うことにしましょう!
 
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