ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-10 12:19

9月10日の隆宣寺日記

人生には色んな出来事があります。それを「悲しい」と受け止めたり「嬉しい」と受け止めたり。いわば《受け止め方》によって、私達の感情は大きく左右されて、結果、私達の行動や言葉も自然と違ってくるものです。もちろん、その《受け止め方》を決めているのは、私達の心です。ということは、私達の心ひとつで人生は変わるし、変えられるということ。逆に言うと、どんなに知識やテクニックがあったとしても、それだけでは、人生はなかなか変わらないし、変えられないものなのです。
 
通常、人は「悲しみ」をイヤだと思い、避けたいと望むものです。しかし、目の前で起きている出来事には色んな意味があり、価値があります。もし、それを「悲しみ」としか受け止められなかったならば、きっと、その出来事から目を背け、「忘れてしまいたい」とすら思うことでしょう。反対に、人は「嬉しい」を好きだと思い、近づきたい、自分のものにしたいと望むものです。しかし、その「嬉しい」と思える出来事に、私達の心身を損なう要素が潜んでいたり、時として第三者の悪意が込められてあることすらあります。つまり、自分の感情、価値判断だけで生きていると、どこか盲目的になってしまいがちなのです。
 
たとえ、第一印象は「悲しい」だったとしても、しばらくは「悲しい」だったとしても、その事実を丁寧に、きちんと受け止めることができるようになったならば、きっと、その出来事から学ぶべきことや、大切な人生の気づきがあるものです。そうすれば、その出来事を今後の糧にすることができるようになります。また、これまで夢中になっていたこと、必死に追いかけ続けてきたものも、ただ「嬉しい」という感情や、そこに価値を見出す判断基準を少し見直すことで、もっと大切なことや、もっと価値のあるものに気づけるようになっていきます。そうすれば、自分の時間・体力・お金の使い方が更にブラッシュアップされていくのです。
 
ただ、そういった人生の転換であったり、価値観や判断基準の見直しというのは「自分」という主観をベースに生きている私達にとっては簡単なことではありません。むしろ「今まで通りを継続していきたい」というのが人間の本性だといえます。だからこそ、大半の人は「自分」という範囲内でしか生きられないのです。しかし、その「自分」という壁を打ち破って、もっと大きな視野、思考で生きるのが、仏様の教え《この世の真理》をベースにして生きていくということです。具体的には「南無妙法蓮華経」と唱え、徳を積むことで、自然と心は成長していき。仏様の教えを耳にすることで、価値観や判断基準も次第に改まっていきます。
 
 すると、物事の《受け止め方》にも変化が起こり始めます。そして、言葉や行動が自然と変わり始め、生き方そのものが軌道修正されていくのです。たとえ全く同じ出来事でも、仏教の有る無しによって、その後の生き方が違ってきます。結果、私達の未来も全く違うものになっていくのです。もっと言えば、過去の出来事ですら、仏教の目線・思考で受け止め直すことによって、マイナスはプラスに、ネガティブはポジティブに変えていくことができ、過去の呪縛は、未来に向かって解放され、しかもプラスにすら大転換していけるのです。仏教があれば、ご信心があれば、もっと生きやすい人生になります!是非、お寺にお参りください♪
 
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