
6月25日の隆宣寺日記
「一寸先は闇」とは《未来のことは全くわからない》という意味の諺です。これを一体どこまで自分の事として実感しているでしょうか?《闇》だと言われても、街中に住む現代人は、なかなかイメージが湧かないかもしれません。
以前、サラリーマンをしていた頃に、山奥に住むお客さんの所へ車で行ったことがあります。帰る頃には日も暮れて、辺りは真っ暗になっていました。街灯は一切ありませんので、月明かりが眩しいくらいに感じます。でも、山道に入り月光が遮られると本当に真っ暗です。まさに一寸先(約3センチ先)は《闇》で何も見えません。明るいうちなら何ともない山道も、真っ暗になると車の運転が一気に難しく感じます。たとえ、通い慣れた道であったとしても不安が募ります。
これは人生でも一緒です。毎日の生活は同じような繰り返しのように見えます。なので「いつも通りの未来がやって来るだろう」という思いが湧いてしまうのは、人間の感情として、ごく当たり前のことなのかもしれません。しかし、そこに人生の落とし穴というか、落ち度ができてしまうのです。この世に《未来が保証されている人》は誰一人としていません。誰にとっても未来は常に不確定で、あるのは《不確かな未来》だけ。そのことを古くから「一寸先は闇」と言い、人生の教訓、戒めとしてきたのです。
まずもって、そのことを人生の大前提として生きている人が、果たして、どれだけいるでしょうか?まさに「知らぬが仏」で、間違った安心感に浸ってしまい、危機感が薄れてしまうのは、実に危険なことだと言えます。そういう意味では「正しく恐れる人」になることが、この人生を生きていく上で、とても重要なことなのです。そして、その「正しい恐れ」ですら《安心》に変えていただけるのが仏教で説かれる【教え】であり【信心修行】なのです。いわば、正しく恐れ、正しく安心するためのメソッド。これこそ「一寸先は闇」の人生を正しく生きるための知恵。是非、ご信心と共に、お寺と共に人生を歩んでいきましょう!
☆朝参詣の御法門は【ここをクリック】(YouTube)
★夕看経の御法門は【ここをクリック】(YouTube)
松本良光 [隆宣寺日記] 2020-06-25 09:58:00
カレンダー
« | 2021年1月 | » | 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
カテゴリー
アーカイブ
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
-
- 2016年12月 (1)
- 2016年11月 (2)
- 2016年10月 (1)
- 2016年09月 (2)
- 2016年08月 (0)
- 2016年07月 (0)
- 2016年06月 (0)
- 2016年05月 (0)
- 2016年04月 (0)
- 2016年03月 (1)
- 2016年02月 (1)
- 2016年01月 (0)
- 2015年
-
- 2015年12月 (1)
- 2015年11月 (3)
- 2015年10月 (0)
- 2015年09月 (0)
- 2015年08月 (0)
- 2015年07月 (1)
- 2015年06月 (1)
- 2015年05月 (0)
- 2015年04月 (0)
- 2015年03月 (0)
- 2015年02月 (0)
- 2015年01月 (1)
- 2014年
-
- 2014年12月 (1)
- 2014年11月 (1)
- 2014年10月 (0)
- 2014年09月 (0)
- 2014年08月 (2)
- 2014年07月 (0)
- 2014年06月 (0)
- 2014年05月 (0)
- 2014年04月 (0)
- 2014年03月 (0)
- 2014年02月 (4)
- 2014年01月 (1)
- 2013年
-
- 2013年12月 (0)