ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-29 09:56

10月29日の隆宣寺日記

一口に「仏教」と言っても、たくさんの教えがあります。しかし、それらは別々、バラバラに存在している訳ではなく、根源となる1つの教えがあり、それを中心に不可分であると言えます。たとえば植物にしても、根・茎・葉・花と、それぞれに存在しますが、それらは相互に働き合いながら、1つの植物として生きています。
 
そして、それらを生み出した大本をたどると、その根源は《種》ということになります。つまり、全ては1つの《種》から生まれたのであり《種》には全てが含まれているのです。それと同じように、数ある仏様の教えも大本をたどれば、やはり《種》に行き着きます。つまり、全ての教えを生み出した《種》ともいうべき根本、根源の教えがあるのです。その教えにこそ全ての教えが集約されてあり、何一つ漏らすことはありません。
 
その《種》ともいうべき、根源の教えこそ「南無妙法蓮華経」の御題目です。全ては「南無妙法蓮華経」から始まったのであり「南無妙法蓮華経」にこそ全てがある。よって、仏様が仏に成るための教えも「南無妙法蓮華経」であり、当然、私達が仏に成るなるための教えも「南無妙法蓮華経」なのです。要は《種》さえ、しっかり押さえておけば全てが万事OKということ。
 
世の中には、数ある仏様の教えを別々、バラバラに教え、信じている人があります。しかし、それは植物の《花》だけを別々、バラバラにするようなもので、根・茎・葉と別々、バラバラにされた《花》は、当然のように枯れてしまいます。仏教にも、生きた仏教と、そうではない仏教があります。全ての仏様を敬い、また全ての教えを大切にするからこそ「南無妙法蓮華経」なのです。
 
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