ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-05-18 10:26

5月18日の隆宣寺日記

私達人間は現金な生き物です。世界全体の幸せよりも、まずは自分の幸せを願うものですし、人生の行く末、遠い未来のことよりも、目先のことばかりを考えてしまいます。どんなに「今」が幸せだったとしても、将来的に破綻するとしたら、その幸せは《本当の幸せ》だと言い切れるでしょうか?幸せでない人が沢山いる中で、自分一人だけが幸せを感じられる。そんな幸せを《本当の幸せ》と呼べるでしょうか?
 
本来、仏様が教えてくださる御利益とは、目先の願いを満足させるだけのもの、自己都合の願いを叶えるだけのものではありません。もし、そうだとするなら、目先の幸せ、自分の幸せだけを願うような、利己的な人を増やしてしまうことになります。これでは仏様の教えと正反対です。
 
仏様の基準は、如何に世界全体にとってプラスであるか、そして、将来的にどれだけプラスであるか…という所にあります。刹那的な幸せでも、利己的な幸せでもありません。このポイントを押さえておくことが、お願い事をする上で極めて重要です。そうでなければ「自分の思い通りにならない」という理由で仏様のことを疑ったり、逆恨みをしたりすることになりかねません。
 
それは、あたかも駄々をこねている小さな子供と同じようなものです。たとえば、子供が遊んでいて、小さな容器に大きな物を入れようとすることがあります。親からすれば「そんなもの入る訳が無いし、そんなことしてたら容器が壊れてしまう」と、すぐさま、わかるのでやめさせようとします。でも、子供には、そんなことはわかりませんので「思い通りにならない!」と悔しがったり、腹を立てたり、さじを投げたり、泣き出したり…
 
仏様にお願い事をするということは「最も良い答えを出してもらおうとすること」であって、「自分の思い通りにしてもらおうとすること」ではありません。将来的にどうなるかわからないのに、目先の損得や自己都合だけで、仏様に対して駄々をこねるようなことがあってはいけません。仏様の思いは実に深くて、すぐさま私達にはわからないこともあります。そう思えばこそ、最後の最後まで信じて待つ、御題目を唱えて待つことが本当の幸せ(御利益)を感じ取る秘訣なのです。
 
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