ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-03-08 11:12

3月8日の「毎日ぶっきょう」

本屋に行くと《人間力》や《言葉力》など「〇〇力」というタイトルを多く見かけます。そんな中で、私が仏教を通じて「これが一番大切だ!」感じているのは《辛抱力》です。なぜなら、人生は生まれてから死ぬまで、常に辛抱というものが付き物でだからです。「小さな子供だから辛抱しなくていい」とか「もうこんな年齢だから辛抱は無し!」とか「あの人がそんなんだったら私も辛抱しない!」というのも本来的には成立しません。

 

そもそも、その辛抱は一体誰のためなのかというと、最終的には「自分のため」です。自分が辛抱するからこそ身につく事、覚えられる事があり、人生の糧になっていきます。仏教では「辛抱は出世の資本金」とも言うぐらいで、辛抱こそ人生をつくる元手なのです。例えば、小さな子は《幼児的万能感》といって「何でも自分の思う通りになる」と思い込んでいます。でも、現実はそうじゃないので、辛抱させなければ「社会で生きる力」が身につかないことになります。

 

それは子供に限ったことではなく、どの年代においても、自分が果たすべき役割の範囲内において辛抱しながら物事に取り組む必要がある訳で、辛抱をやめてしまえば、それ以上の成長はありません。特に、年齢を重ねていけば、若い頃のように体が動かず、頭も回らず、思考も硬直しがちです。そうなると、生きること自体に辛抱が付き物で、持病があれば余計に辛抱が付きまといます。しかし、それが「生きる」ということであり、辛抱してこそ人生を全うしたことになるのです。

 

ただ、一口に「辛抱」と言っても、不健全な辛抱の仕方、させ方は避けないといけません。寒空の下に子供を半袖一枚で放り出せば、寒さの辛抱どころか虐待となるでしょうし、お酒が飲めない人に「練習だ!」と言って飲ませれば、辛抱どころか強要になります。その辺りの誤解がないように気をつけるのも、正しい辛抱の仕方、させ方の上で大切なことです。お互いにステップアップできるような、健全な辛抱を続けながら日々の生活を送りましょう♪

 

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