ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-20 10:16

10月20日の隆宣寺日記

「人の悪口や批判に意味はあるのか?何か有益なことはあるのか?」というと、残念ながら公益性、利他性は全く無く、言ってる人の自己満足でしかありません。なぜなら、悪口や批判というのは、その人の判断基準によるものだからです。「そんなのは、おかしい」「あの人は変わってる」「普通は、そうしない」などなど。
 
結局は、自分の「当たり前」ではないことに機嫌を損ねて、不満を言っているだけ。でも、それをあたかも「この世の真理」のように言い張り、自分を正当化する訳です。悪口、批判された人はたまりませんし、それを聞かされる周囲の人も迷惑でしかありません。なぜなら、その言葉には相手を敬う気持ち、相手を思いやる慈悲が全くないからです。
 
むしろ「我を通したい」「自分さえ良かったらいい」という自己中心的な思いや、それこそ、そのためなら相手を攻撃しようとする敵愾心(てきがいしん)ばかり。そもそも、言っていることが本当の正しいのであれば、悪口や批判といった言葉にはなりません。もはや、そういう方法でしか表現でない時点で、無益であり有害ですらあるのです。
 
「俺ルール」「私ルール」は極々限られた、とても狭い範囲内でしか通用しません。一方、世の中には万人共通のルールがあり、日本国憲法や様々な法律がそれにあたります。これを基準にして判断するからこそ、有益な言葉、行動になっていきます。そして、仏様がお悟りになった《この世の真理》は宇宙全体を貫くルールです。
 
いわば、仏教はいつでも、どこでも、誰にでも適用されるルールであり、そのルールを守ることで、世の中は自然と「平和」や「安心」が築かれていきます。お互いに「自分」をぶつけ合っていては何も解決しないし、遺恨やストレスばかりが生まれます。そうではなく、お互いに《仏教》という共通のルールを持つことが大切なのです♪
 
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