ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-09 10:06

6月9日の隆宣寺日記

5年前の今日、6月9日の出来事。それは「父が緩和ケア病棟のある病院へと移った日」です。
 
緩和ケア病棟は通常の病院よりも施設・設備もケアも充実しています。実際、転院してみて「本当にここに来て良かった」と心から思いました。ただ、父の思いとしては、ずっとお世話になっていた病院への愛着があったようですし、それより何より「自分はまだ大丈夫」という思いがあったようです(と、当時の私は思ってました)。もちろん、父の同意が無ければ転院はできません。なので、私から転院についての話をしました。
 
そのことを最近になって思い出しました。転院したことや、転院先での出来事などはよく思い出していたのですが、父に転院の話をしたことは、この5年間で一度も思い出していなかったように思います。実際に思い出してみてわかったことは、私にとって辛い思い出の1つだったということ。
 
先生は父に対して正確な病状を伝えていませんでした。こちらから「言わないで欲しい」とリクエストした訳ではありませんが、きっと何かしらのお考えがあってのことだったと思います。家族の中でも「それでいいだろう」という共通の認識があって、積極的に病状を伝えることはしていませんでした。そのため父の口から出てくる言葉は実に楽観的で、ある種、希望的な言葉でした。
 
そんな父に対して、緩和ケア病棟への転院の話をしないといけない。その時の心境は、それこそ言葉では表現できません。きっと、だからこそ思い出せなかった、いや、思い出さなかった。もしかしたら、思い出そうとしなかったのかもしれません。まさに5年間、ずっと鍵がかかっていた思い出の箱が空いたようなものです。そのキッカケはFacebookの思い出機能でした(笑)
 
5年前の6月8日に、こんな投稿をしています。
「ウルトラミラクルで6月3日に面談を受けた病院から連絡があり、明日、父は転院となりました。緩和ケア専門で全室個室。でも、ベッドの差額代が一切かかりません。本当に御利益です。通常では、あり得ない出来事。ほんと最後の最後まで守ってくださるんですねー。有難いとしか言葉がありません!」
*当初、面談は「7月か8月になります」と言われていたので「ウルトラミラクルで6月3日に面談」と書いています。ちなみに、父が亡くなったのは6月18日ですので、本当にウルトラミラクルでは足りないぐらいの御利益!!
 
「6月9日(ロックの日)に緩和ケア病棟のある病院に転院ってめっちゃロックやん!」って思ったのと同時に、「そう言えば、親父に転院の話をしたんやったなぁ…」と思い出し、複雑な気持ちになりました。5年ぶりの、あの気持ちです。そして、当時の自分に対して「よう、言うたなぁ」と思いました。あの日、あの時だから出来たことだと思います。
 
当時「父は自分の病状を知らない、気づいてないだろう」と私は思ってました。なので、何も知らない父に(病状がバレないように)話をしていました。でも、今となって思うことは「親父は本当に知らなかったのか?気づいてなかったのか?」ということ。あの日、あの時の私は、そんなことを全く思いもしてませんでした。恐らく、だからこそ平常心で転院の話をすることができたんだと思います。
 
今となっては、何が事実なのかはわかりませんが、こういった極限の状況になった時に最も必要なのは知識でも技術でもありません。健全に生きていく、最期まで生き抜くために最も必要なのは「心」です。ただ、それだけの「心」を急に作り上げたり、育てたりすることは不可能です。インスタントな知識や技術は有り得たとしても、インスタントな心は有り得ません。普段から心の大切さを知り、心を養うことを日常的に取り入れることが大切。それが重要な局面で役に立つのはもちろん、普段の何気ない生活も健全に過ごせます。そう思うと、やはり仏教のある人生、ご信心と共に暮らす日常が大切です。
 
もし、当時の父が「もうそんなに長くない」ということに気づいていたとするなら、私が思っていた以上に《すごい父親だった》ということです。あんな風に最後の時間を過ごせるか、あんな風に息子の話を聞けるか。そして、あんな風に死んでいけるか…。5年経っても、まだまだ気づかされること、思うこと多々です。
 
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