ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-13 11:50

9月13日の隆宣寺日記

「一を聞いて十を知る」
物事の一部を聞いて、その全体像を理解するという意味の言葉。実際そうやって理解できる人は、能力のある人だなぁ〜と思いますが、それよりも、もっと大切なことは理解「できる・できない」ということよりも、理解しようと「している・していない」という私達の姿勢です。これが無ければ「一を聞いて十を知る」ということは起こり得ません。
 
この夏、お寺の大法要にお参りくださった方々にお配りする『素麺』をネットで購入しました。1つずつ包装してもらえたら、より丁寧なんだけどなぁ〜と思いつつ、ネット注文なので、それこそ「無理な注文」なんだろうなぁ〜と思っていました。ところが「包装する・しない」の項目があったので「包装する」にチェックを入れることに。結果、お寺に届いたのは《包装紙がペラっと貼られた》大きな段ボール3つでした。
 
やはり、1つずつの包装は対応していないんだろうなぁ〜と思いつつ、ネットショッピングだと、こんなものかなぁ〜と納得したのです。ところが、秋のお彼岸にお参りくださる方々にお配りする『錦松梅』を注文した際、賞味期限が気になったので「人にお配りするものなので賞味期限を教えてください」とコメントを添えて注文をしました。
 
すると、届いた段ボールを開けてみるとビックリです!!100個以上の商品が1つずつ丁寧に包装された上、ビニール袋まで入っていました。恐らく「人にお配りするものなので…」とのコメントを読んだ担当者がお気遣いをくださり、こういった対応をしてくださったものと思います。「たくさんの注文ありがとうございました」との手書きの御礼状にも心が温まりました。
 
実は、今回の注文先は某百貨店のネットショップでした。ネット取引であっても店舗と同様の対応ができる、対面販売じゃないからこそ余計にセンスを研ぎ澄ます。そういったところにホスピタリティー(おもてなしの心)を感じました。これもまた「お客様のニーズ、言葉になっていないお客様の声」を聞き取ろうとしている姿勢から全てが始まっています。
 
人は十人十色、千差万別で、長所も短所も、それぞれに違うものです。至らない所を指摘し始めたら、お互いにいくらでも出てくると思います。反対に、素敵な所を指摘し始めたら、お互いに新しい発見がドンドン出てきます。つまり、相手を見る時には「目の付け所」が大事だということ。「目の付け所」が変われば、相手への理解も大きく違ってきます。
 
世の中に完璧な人はいない…ということは、完璧な仕事もないということです。でも、その完璧ではない仕事の中に、必ずその人の《まごころ》があります。そこに目を付けることができれば、もっと相手への理解が深まるはずです。日常的に「一を聞いて十を知る」とは、なかなかいきませんが、せめて「目の付け所」を変えてみて、相手を理解しようとする姿勢を大切にしたいものです。
 
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