ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-06 10:02

7月6日の隆宣寺日記

今、私達が生きている世界を《浮き世》と表現することがあります。「辛いことの多い世の中、無常の世の中」という意味です。語源をたどると《憂き世》であり、こちらの方がわかりやすいと思います。「憂」とは、思い通りにならなくて苦しい心の状態です。
 
仏様は「この世は無常である」と悟られました。つまり「この世の全ては常に変化している」ということです。それなのに私達は自分の思い通りにしたいし、思い通りにできると思い込んでます。実は、ここにこそ「憂」が生まれる原因があります。
 
ということは、この世界は初めから《憂き世》なのではなく、誰にとっても「辛いことが多い」という絶対的な《憂き世》でもなく、客観的事実としては、時間の経過と共に物事が常に変化しているという、何の変哲も無い、ごくごく普通の、ありふれた世界でしかないのです。
 
ただ、そこに生きる私達が、その客観的事実とは裏腹に「自分の思い通りにしたい!そうあるべきだ!」なんて思ってしまうので、わざわざ自分で、この世を《憂き世》にしているだけのことです。つまり、この世を生きやすい世界にするのも、生きにくい世界にするのも、実は、私達の心の問題であり、この世界との向き合い方、付き合い方の問題なのです。
 
そのことを仏様は私達に教えてくださっているのです。この世が変わらなくても、あなたの心が変われば、この世は浄土になるし、あなたの苦しみは無くなっていく。いわば、この世を正しく理解して(悟って)生きるということ。これが「仏に成る」ということです。残念ながら、この「仏に成る」ということを知らずにいる方や「仏に成る」のは死んでからの話だと勘違いしている方が多くあります。
 
そもそも仏様は「生きている今、この瞬間の苦しみ」を解決するために、出家得度をなさり、悟りを開いて(仏と成って)、全ての苦しみを解決されました。そして、一人でも多くの方にも「この最も生きやすい心の状態」を伝えたくて、一人でも多くの方にも「生きている今、この瞬間の苦しみ」を解決して欲しくて、つまり「この世で、この世界で幸せになって欲しい」「生きている今、幸せになって欲しい」と、心から望まれて、人々に教えを説いてゆかれたのです。
 
「憂さを晴らす」
それは自分の好きなこと、楽しいことで嫌な気持ちを誤魔化したり、無理にでも元気を出す、やる気を出す、テンションを上げることではありません。本当に「憂さ」をキレイさっぱり無くしたいのであれば、自分の心を変える、整えることが大切。そのための仏教、そのためのご信心、そのためのお寺です♪
 
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