ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-18 14:50

8月18日の隆宣寺日記

「仏教を信仰する」と言っても、色んなタイプ・スタイルがあります。それらを大きく2つに分けると《二乗(にじょう)》《菩薩(ぼさつ)》になります。《二乗》というのは、先ずは自分自身が信心修行に励み、自分自身の成仏だけに専念する人。《菩薩》というのは、自ら信心修行に励むと共に、他の人々にも教えを説き、共に仏道を歩む人です。

 

単純に考えれば、仏教初心者が他人のことまで考えて、他人の世話までしながら修行するよりも、まずは自分のことだけに専念した方が、スムーズに教えが身につき、結果が出せると思うものです。実際、世間のお寺・神社を見回すと、受験合格・病気平癒・厄災消除・商売繁盛など、人々の個人的な願いを叶えることを宣伝文句にしているところが実に多くあります。

 

確かに、そういう側面があるのは決して否定できませんが、それが仏教の本質では無い、ということだけは知っておいて欲しいと思います。仏様ご自身も悟りを得る、つまり仏に成ることが信心修行のゴールではありませんでした。この世の真理を悟ったからこそ、いわば全てを知ったからこそ人々に伝えようとなさったのです。

 

そして、それは仏様ご自身の信心修行として、今後も永遠にわたって続いていきます。だからこそ、永遠にわたって仏様は《仏》であり続けることができるのです。つまり、本来的に「仏に成るための信心修行」というのは《菩薩》のタイプ・スタイルのみ。《二乗》のような「まず自分の御利益」「とりあえず自分の信心修行」というタイプ・スタイルは、信心修行を興味関心を持ち、スタートをするためのキッカケ、導入部分であると言えます。

 

仏教の大原則の1つに「あなたと私は本来的に一緒、別々バラバラじゃない」という教えがあります。その点から考えてみても《自分だけの幸せ》というのは本来的に成立しないのです。それを無理に成り立たせようとすれば、必ずそのしわ寄せがどこかで発生します。果たして、そんな幸せを本当の意味で《幸せ》と呼べるのでしょうか?

 

自分のことだけではなくて、みんなのことを共に考えられる。そういう生き方こそが、偏りのない円満な結果を導き出します。これは私達の日常生活においても、実に大切な心がけであり、そういった「人として生きるセンス」も仏教を信仰する中で磨かれていくのです。

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)
★夕看経御法門は【ここをクリック】(YouTube)