ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-09 17:26

9月9日の隆宣寺日記

言葉は一体どこから生まれてくるのかと言えば、それは《心》です。たとえ「心にも無いこと」を言葉にしていたとしても、それもまた、そういう《心》が言葉にあらわれているのです。逆に言うと、私達の言葉は常に自分の《心》をあらわしています。いわば、私達の言葉は、私達の《心》そのものだと言えるのです。
 
ということは、仏様の教え、御経というのは単なる文字ではありません。単なる学問でも、単なる人生哲学でもなく、仏様の《心》そのものです。つまり「仏様の教え」をいただくとは「仏様の心」をいただくということ。よって、目で見て、頭で理解して、心で思い感じるだけではなく、教え通りに行動して、仏様の《心》をいただくことが肝心です。
 
「信心」「信仰心」というのは、私自身の《心》だけでは成り立ちません。私達の《心》と、仏様の《心》とが合わさってこそ、生きた信心、生きた信仰心となり、生きた仏教となります。生きているからこそ、動き、変化、結果があらわれます。生きたお寺で、生きたご信心、そして生き生きとした人生を♪
 
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