ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-21 12:46

8月21日の隆宣寺日記

近所の公園に大きな山の滑り台があります。子供の頃は本当に「そびえ立つ山」というイメージでしたが、今となっては「こんなもんやったんかぁ〜」と思う程度です。ただ、子供の頃よりも体も大きく、重くなっているので、実際に滑ると、それなりのスピード、迫力があります。

 

3歳になる息子は、その山を上手に登るようになったのですが、なかなか一人で滑ることができませんでした。毎回家内や私に「コッチに来て〜!」とせがむので、仕方なく一緒に滑る。とにかく、お尻への負荷がすごくて、ユニクロの夏用ズボンは一発で破れました(笑)なので、早く一人で滑れるようになって欲しいと願っていたのです。

 

子供の成長は大人のそれよりも目覚しくて、知らない間に、山の中腹ぐらいからであれば一人で滑れるようになり、一昨日、ついに一人で滑ることに成功したのですが、これが一苦労でした。滑り出す位置には座るものの、なかなか踏ん切りがつかず、グズグズしています。私や家内が「ここにいるから大丈夫だよ〜!」と促しても全然ダメ(笑)

 

そんな息子を尻目に、お友達はみんなシューッと上手に滑ります。お父さん、お母さんがいても思い切れないのは、それだけ不安が強い証拠。親を信じていない訳では無いんでしょうが、漠然とした不安があるんだと思います。「未経験の域に入る」とは、それだけ沢山の励まし、勇気づけが必要だということです。そう思うと、無条件で、手放しで飛び込めるのは、よほど安心と信頼がある証拠だと言えます。

 

ちなみに、息子は一人で滑り出したものの、手を上手に使ってブレーキをかけ、ある程度、滑る勢いを殺しながら「スーッ」と滑っていました。勢いよく「シューッ!!」と滑って、私に突っ込んでくるかと思ってので意外な展開。わが息子ながら「器用なことしよんなぁ〜」と感心しましたが「無条件で突っ込んでくるぐらいの方が嬉しかったなぁ〜」と少し複雑な心境(笑)

 

これはご信心の世界でも同じことが言えます。仏様を信じる、任せると言っても、なかなか一朝一夕にはいかないものです。それこそ切羽詰まっていて「藁にもすがる思い」であれば「これしかない!」という覚悟で、無条件で飛び込めるかもしれませんが、そうでなけれな、やはり、それなりの時間と経験が必要になってきます。

 

でも、それは逆説的に考えると、時間と経験を積み重ねていけば、必ずそういう風に信じられるようになる!ということです。むしろ、そういった積み重ねがなく、ただの知識だけで終わってしまっていては、いつまでも信じることができず、むしろ「信じよう」ともしないのではないでしょうか。「信じる」の第一歩を踏み出すのは私達自身、仏様はいつだって両手を広げて待っておられます。

 

あんだけグズグズしていた息子も、今では一人で滑れるようになって自慢顔です。そして、仏様のことを信じ切る事が出来るようになって、御利益をいただいた方も不安や疑いの気持ちは吹っ飛んで、安心と喜びの思いで溢れるようになります。その顔を見せていただいた時にこそ、私自身「最高の喜びと最大のやり甲斐」を感じます。是非、皆さんもそういう幸せな顔になってみましょう♪

 

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