ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-05-20 09:41

5月20日の隆宣寺日記

キリスト教やイスラム教では「神に成れる」とは言いません。神は救世主、いわば信じる人を救うを唯一絶対無二の存在として崇めます。それに対して、仏教は「仏に成れる」信仰であり「仏に成ること」がゴールです。もちろん「仏に成る」という結果を得るためには、それだけの原因が必要です。「仏に成る」ための道、《仏道》を歩み続けた先にこそゴールがあります。
 
ただ、私達は全てが平等に、同じ条件で生まれ育つ訳ではありません。人の数だけ人生があり、家庭によって環境は異なります。なので、単純に「一日一善」と言っても、極端な話、それが簡単な人もあれば、難しい人もあります。この場合、その「一善」の価値はどうなるのか?「一善」には変わりないから、全く同じ価値なのか…それとも、同じ「一善」でも価値が違ってくるのか…
 
今日の御指南では、価値は《違う》と教えてくださいます。「一日一善」が大変な人、難しい人が思い切って、頑張ってチャレンジした「一善」は《百善》に値する…、つまり百倍の価値があるということです。たとえ「0.1善」であっても《10善》の価値、「0.01善」であっても《1善》の価値。でも「0」はどんなに積み重ねても「0」です
 
そう思えば「できない」「無理だ」と初めから諦めてしまうのではなくて、周りの人と比べて「でも」「だって」「どうせ」と言うのではなくて、真っ直ぐ仏様と向き合って、徳を積む、善い行いを積み重ねていく。そうやって、自分の足で《仏道》を一歩ずつ歩んでいくことが大切です。そうすれば「仏道を歩んでいる現実の証明」として、現証の御利益が必ずいただけます。大変な時、苦しい時こそ、未来に向かって一歩を踏み出しましょう!
  
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