ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-03 10:18

12月3日の隆宣寺日記

昨日は師弟関係(教える側・教わる側の関係)について取り上げ、特に《弟子》としての立場についてお話をさせていただきました。今日は弟子の立場を踏まえつつ《師匠》の立場についてお話しようと思います。というのも、私達はいつまでも《弟子》という立場ではあるものの、それなりの年数を経ると、今度は自分が教える立場になっていくものです。実際、私達の師匠も初めから《師匠》だった訳ではなくて、お若い頃は《弟子》として師匠に仕えてこられたのです。

 

そうやって師匠に仕えていた弟子が成長して、次の《師匠》になっていく。その師匠のもとで、また新しい《弟子》が仕え、次第に成長していく。この繰り返しによって、正しい教え、正しい道が継承されていくのです。よって、私達自身も《弟子》として師匠の教えを守り、成長を続ける一方で「今度は自分が教える番である」という《師匠》の立場を自覚して、弟子に伝えていく。いわば、自分の後を継ぐべき人を、実際に育てていくことが使命となります。これは私達の責務であり、これが師匠に対する最大の恩返しとなります。

 

では《師匠》の役割とは何か?それは「弟子が知らないこと」「弟子ができないこと」を教えることです。弟子は自分一人の力で何かを知り得たり、できるようになったりはしません。師匠が教えたことが全てで、それ以上もそれ以下もありません。むしろ、それ以上のことを知っていたり、できるようになっていては、それは余計なことを知っている、余計なことができていることになり、反対に、それ以下となれば、まだまだ教え方が足りない、指導不足となります。

 

弟子にとっては《師匠》が全てであり、いわば「師匠頼み」な訳です。その師匠が指導を怠って「弟子頼み」「弟子任せ」になってはいけません。あくまでも、師匠が教える範囲内でしか《弟子》は育ちません。もちろん、弟子本人の努力で期待以上の成長を遂げることはあります。それでも、その初めの第一歩は「師匠からの教え」でしかありません。なぜなら、弟子にとっては「師匠から教わったことが全て」だからです。だからこそ《師匠》は弟子が立派に育つまで、教え続けないといけない。

 

そうやって師匠というのは、自分の弟子が次の《師匠》になれるように指導する。いわば、この師弟関係が途切れないように、自分の責務を果たそうとするのです。それが自分の師匠に対する最大の恩返しであり、弟子としての本分を全うするということ。ただ、そんなこと言われても「自分は至らない弟子」という思いは、誰にでもあるものです。「こんな私が師匠?人に教えるだなんて無理!」となるのも十分わかります(自分もそうなので)。でも、そうやって《師匠》の役割を果たしていくことも《弟子》としての修行であり、その修行でなければ得られないもの、その修行だからこそ成長できることがあるのです。

 

マニュアルだけで「その道」が残せるほど簡単なものではありません。たとえ、テクニックは残せたとしても、そこには肝心の「魂」が宿らない。師匠から弟子へと伝えられる一挙手一投足、一つひとつの言葉、表情、眼差し。そこには必ず「魂」が宿っていて、師匠と弟子との間でのみ引き継がれます。このコロナ禍で、この師弟関係のあり方も変わってくるかもしれませんが、1つだけ絶対に変わらないのは、教える責任は《師匠》にあるということです。是非、お互いに《師匠》としての責務を果たしていこうじゃありませんか!

 

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