ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-19 09:54

8月19日の隆宣寺日記

一ヶ月にわたってお届けしてきた夏期参詣御法門も今日が最終日です。それぞれに話が関連していることを感じながら聴聞できたでしょうか?

 

そもそも仏教が説き示す《真理》は1つしかありません。しかし、それを伝える方法は人の数だけあると言っても過言ではありません。そして、その《真理》を体得する、いわば体で覚えていくためには、色んな角度からアプローチしていく必要があります。その意味で「ハウツー」の話ともなれば、多種多様にわたります。

 

更に、聞き手のレベル、成長度合いによっても話の内容、話し方は自然と違ってきます。また、その人が今、置かれている状況によっても臨機応変に伝え方が変わってくるものです。そのため「この前言ってた事と今日言ってる事は矛盾してるように感じる」という現象が起き得ます。もちろん、その日の心の状態によっては全く同じ話でも感じ方、受け止め方が違うこともあります。つまり、仏様の教えというのは一生かけて聴き続けて、一生かけて体得していくべきものなのです。

 

だからこそ、教えてくださる方、いわば《師匠》を常にいただいて、師匠についていく姿勢が極めて重要。教えてもらう側、いわば私達《弟子》の取り組む姿勢・態度としては、師匠の本意(本当の考え、本来の目的)を常に探し求めて、師匠を見失わない用心が必須となります。これを抜きにして師弟関係は成り立ちませんし、師匠を前にして弟子が我(が)を出した瞬間、それは「師匠を捨てた」のと同じ意味であり、慢心を起こしている動かぬ証拠となります。

 

あくまでも、私達は教えていただく側、させていただく側であることを忘れてはいけません。たとえ、自分が成長をして「人に教える立場」になったとしても、それは《弟子》である自分が、師匠に代わって「師匠の教え」を伝えるということであり、自分自身が全てをマスターした《師匠》だと思うのは、とんでもない大間違い。いつまでも、どこまでも未熟な弟子として、師匠に仕え、師匠に従うのが私達の立場なのです。

 

そうやって、いつまでも師匠に一途な弟子であってこそ、確実に師匠に近づいていける、一歩ずつ確実に体得していけるのです。そこにこそ御利益という成果、確かに成長している証拠があらわれます。自分自身を師匠にしてしまって、自分自身の思う通りに発言・行動してませんか?今一番、自分の心のド真ん中に《師匠》をいただき、その本意を常に追い求めましょう!

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

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