ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-15 10:09

7月15日の隆宣寺日記

「色心不二(しきしんふに)」という教えがあります。
《色/しき》とは物のことで、《心/しん》とは心(こころ)のこと。そして《不二/ふに》とは、2つで1つという意味です。つまり「物と心は別々のように見えるけれど、本来的に1つ」ということ。よって、物には私達の心、思いがこもるし、私達の意志によって思いを込められるのです。
 
以前、美術の先生をされてるご信者さんから「展覧会に行きませんか?」と勧められました。その先生は、障害を持った子供たちが通う学校で美術を教えています。私は美術館や博物館などを見学するのが苦手で、自ら足を運ぶことはありません。何かの付き合いで足を運んだとしても、誰よりも早く見学を終えてしまうタイプです。きっと《物》から何かを感じとる感度が低いんだと思います。
 
でも、その先生が「展覧会に行きませんか?」と言って差し出してくれた1枚のチラシ。そこに掲載されてある作品を見て、思わず私の心が動きました。「これは見てみたい!現物を見てみたい!」と素直に思えたのです。会場は車で1時間以上かかる、しかも山の中にある施設でした。それでも、わざわざ車を走らせて家内と一緒に観に行きました。ここまで私を動かすだけのチカラが、その絵にはあったのです。
 
実際、展覧会で絵を目の当たりにすると、そのチカラは更に大きく感じました。もはや「買えるものなら買いたい!」と思うほどで、じっくりと観て回りました。普段なら絶対に買わない図録を買い、展覧会を後にしまいた。なぜ、そこまで私の心を動かしたのでしょうか?もちろん、それは絵に込められた作者の《心》です。それは絵の構成と一体となって、目に見えないチカラとなって放たれています。
 
後日、展覧会を勧めてくださった御礼と共に、そのことを少し興奮気味に話しました。すると、その先生はこのように仰いました。
「あの子たちが描く絵は本当に純粋なんです。心そのものをダイレクトに描いてるんですよ。だから、伝わるもの、訴えかけるものがある。その点、私達はダメですよ。どうしても上手に描こうだとか、評価されたいだとか、そういう思いが心のどこかにあるから、それが絵に出ちゃうんです。」
 
この言葉を聞いて、すごく納得したのを覚えています。そう思うと「まごころを込めて」というのは、口で言うほど簡単ではないことがわかります。どこかで相手の見返りを期待したり、周囲の反応を想像したりする。そんな、ちょっと浅ましい自分がいたりします。でも、純粋に《まごころ》が込められたなら、大いに伝わるものがあるに違いありませんね。そんな自分になれるように日々、心に磨きをかけたいものです。
 
☆朝参詣の御法門は【ここをクリック】(YouTube)
 
★夕看経の御法門は【ここをクリック】(YouTube)