ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-24 14:58

10月24日の隆宣寺日記

長い人生の中で悩みの種、心配の種というのは尽きないものです。子供には子供なりの、大人には大人なりの、年寄りには年寄りなりの悩み事、心配事があって、心を迷わせ、不安にさせます。もし、その悩み事、心配事が、迅速に解決できることであるなら、その解決によって、心は晴れやかになっていくことでしょう。
 
しかし、生きていく上での悩み事、心配事というのは、簡単に解決できることばかりではなく、長期化することもあれば、人生の最後まで付き合わなければならないことだってあります。そうなれば、いつまでも悩み続けないといけないのでしょうか?この問いに対して、仏様は「そんなことはないですよ」とお答えになります。
 
実は、この世に「悩みの種」「心配の種」という《種》はありません。もし、あるとするならば様々な出来事を「悩み」「心配」と感じる《心》です。つまり「悩みの種」「心配の種」をつくっているのは自分の心だということ。よって、自分の心が変われば、目の前の出来事が変化しなくても、解決しなくても、その「悩み」「心配」から抜け出し、安心を手にすることも可能なのです。
 
もちろん、そういう心へと誘ってくださるのが仏様の教えです。仏教の目指すところは、心の変革によって全ての悩み、苦しみから抜け出すこと。ただ、それは自分で「自分の心」を変えようとするものではありません。自分で変えようとうすると必ず無理が出ますし、第三者が変えようとすると余計です。重要なことは、心を「変える」のではなく、心が「変わる」ということ。
 
仏様の教えをいただくことによって、正しい視点で世界を見ることができたり、正しい価値観で物事を評価できたり、正しい判断基準で人生の選択できたりと。まさに「目からウロコ」で大きな発想の転換、価値観の変動が起きたりします。そして何より「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えることによって、自然と心が開いて、溜め込んでいた、抱え込んでいた悩み・心配は放出されます。
 
心の健康は、私達が思っている以上に人生を大きく左右します。色んな出来事が次々と起こり、そのたびに人生の選択を迫られます。その出来事を受け止めたり、物事を判断したりする心の健康を確保する。それは人生における「安心」を確保するのと同じことを意味します。是非、お寺で、仏教で、心の健康をつくっていきましょう♪
 
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