ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-08 17:54

10月8日の隆宣寺日記

自分の損得ばかりを考えて行動する、言葉を発する、そんな打算的な生き様は、やはり周りから見て「それって、どうなん?」という評価になりやすいものです。好意や信頼を得るという状況からは程遠く、愛想を尽かされる恐れが多くあります。やはり「世のため人のため」という利他的な言動こそ、共感や賛同を得られやすいもので、事実「情けは人の為ならず」というように、利他的に生きてこそ自分自身も向上していきます。
 
そう思えば、清く正しい心というのは《思いやりの心》《利他の心》であると言えます。単に正義をふりかざすだけでは、無意識のうちに人を傷つけたり、軽蔑することにもなりかねません。また「思いやり」と言っても、それが親切の押し売りとなってしまっては、元も子もありません。「あなたのために言ってあげてんのよ!」「良かれと思って、やってあげたのに!」こんなセリフを耳にしたことは、一度や二度では済まないんじゃないでしょうか。
 
私達にとって理想的なのは、お互いのことを思い合えるようになることです。家族においても、地域においても、国内においても、世界全体においても、自分のことだけじゃなくて、人のことを思える人が増えることが平和への道。そのことを念願して、そういう人が増えることを大目的として説かれたのが仏教、仏様の教え。つまり、仏教とは「お互いのことを思い合える人をつくり、世の中を平和にする」教えなのです。
 
よって、仏様の教えを学ぶこと、その教えを人生に取り入れること、実際に行動に移すことは、自分自身の心に潜(ひそ)んでいる「利己的」「打算的」な自分を徐々に矯正していき、「思いやり」「慈悲」の心を目覚めさせて「利他的」な自分を発揮させることに直結しているのです。仏教には、そういう側面があることを是非たくさんの人に知って欲しいと思います。仏教を通じて、より良い自分、より良い世の中にしてきましょう♪
 
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