ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-11 09:55

6月11日の隆宣寺日記

楽しい状況、幸せな状況であれば、誰だって面白おかしく生きてられます。問題なのは、苦しい状況、辛い状況で、どうやって生きていくかです。1日24時間は誰でも一緒、誰もがそれだけの命を消費して1日を生きる訳です。それならば、泣いて過ごす1日よりも、笑って過ごす1日の方がいい。そのために出来ることは何か?それは《楽しむ》ということです。
 
どんなに愚痴をこぼしても、その言葉だけでは何も変わりません。個人的な感情がおさまる、気が済むというレベルの話ですが、実は、それも正しい感情のコントロール方法ではありません。負の感情と共に吐き出された言葉は深く心に刻み込まれます。しかも、その場に同調する人があれば、その言葉も感情も増大します。つまり「良いことは何ひとつ無い」ということです。それならば、せめて状況が変わり始めるような一石を投じる、そういう前向きで、建設的な言葉を交わす方が余程、有益です。
 
では、なぜ《楽しむ》ことができないのか?それは実に沢山のことを「当たり前」にしてしまっているからです。「当たり前」になればなるほど、人は感謝の思いが持てなくなります。「当たり前」が少しでも欠けると苦しみや不平不満のもとになります。つまり、自分にとっての「当たり前」が増えれば、増えるほど苦しみやすく、不平不満を抱きやすく、愚痴っぽくなるということです。反対に「有難い」という認識を持つことができれば、自然と感謝の思いが湧いてくるものです。そういう心いるからこそ、どんな状況でも《楽しむ》ことができるようになります。
 
これは何も自分の感情を偽りながら生きることではありません。「ありがたい、ありがたい」と思えるようになれば、自然とそういう風に生きていけます。このコロナ禍で色んなことが従来通りにいかなくなりました。そういう意味では、今までの《利益》や《楽しみ》は減ったかもしれません。でも、これまでに無かった《利益》や《楽しみ》が増えたのも事実です。そこに【気づける人】と【気づけない人】がいると思いますが、それがまさに、人生を《楽しむ人》と《楽しまない人》の違い目です。いつまでもコロナのせいにしても何も変わらないし、何も変えられません。今、私達に求められるのは感染拡大予防策と新しい生活様式を取り入れながら、この人生を《楽しむ》《楽しもうとする》ことに他なりません。
 
☆朝参詣の御法門は【ここをクリック】(YouTube)
 
★夕看経の御法門は【ここをクリック】(YouTube)