ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-24 10:00

11月24日の隆宣寺日記

仏教を信仰するとは、仏様がお悟(さと)りになった《この世の真理》に沿って生きるということです。この【悟る】というのは「気づく」「発見する」と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。つまり「仏教」という教えは、仏様が独自に「つくった」「考え出した」ものではないということです。そうではなくて、仏様が悟る(気づく、発見する)前から存在したものであり、明らかな事実として、そういう真理、法則、ルールに従って、この世界(宇宙全体を含む)は動いてきたのです。

 

仏様は人々の苦しみについて深く深く考え、その原因が一体どこにあるのかに気づかれました。「この世には、この世全体の真理(ルール)があるのに、それを知らずに生きるから苦しいんだ」川の流れ、人の流れに逆行すれば、それだけ大きな負荷が私達の心と体にかかります。たとえ逆行しなくても、その場に立ち止まるだけでも、それだけの負荷がかかるもの。でも、ルールを知らずにいると、わざわざ負荷がかかるような生き方をしてしまうのです。

 

つまり、どうして今、苦しみを感じているのかと言うと、それは自分自身の生き方や考え方、ものごとの受け止め方や感じ方、価値観や判断基準、そこに問題が起きているのが原因です。それは、本当は守るべきルールを知らずにいて、思いがけずルールから外れているということ。わざわざ間違った生き方をしようとする人はなく、誰だって真っ直ぐ生きようとしています。ただ、真っ直ぐ生きるためには、基準となる「物差し」「定規」が必要なのです。

 

もし、自分の《心》を基準にしてしまうと、自分の心がズレたり、ブレたりした時に、自分自身がズレていること、ブレていること、それこそルールから外れていることに気づけません。「物差し」「定規」は、どんな物事にも一切影響を受けない、絶対的な基準であることが必要です。その絶対的な基準こそ《この世の真理》であり、ここのピントを合わせて生きていけば、人は必ず「苦しみ」を解決できるようになると、仏様はお悟りになったのです。

 

つまり、苦しみを解決する最大のポイントは《自分自身》にあるということです。「その人が」「あの会社が」「この日本が」と言いたくなる気持ちはわかりますが、もし「その人」「あの会社」「この日本」が苦しみの原因であり、問題解決の鍵を握ってるとするなら、もはや、私達自身の手で「自分の苦しみ」を解決する手段・方法が無いことになってしまいます。でも、事実はそうではなく「自分の苦しみ」は、自分で解決できる、それが仏教の答えです。

 

ただ、それは我慢するとか、何かで誤魔化すとか、そういう話ではありません。仏教を信仰することによって《この世の真理》に沿った生き方、考え方ができるようになれば、自然と「苦しみ」は解決の方へ向きが変わり、その積み重ねによって解決へと至るのです。「千里の道も一歩から」で、はじめの第一歩がなければ、いつまでもゴールにはたどり着けません。そう思えば、まずはスタート地点に立つ、お寺に足を運ぶことから始めてみませんか?

 

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