ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-02 09:56

6月2日の隆宣寺日記

「できる・できない」という話は本来、その資格が「有る・無い」の話です。たとえば、法律に基づいて人を裁くことが「できる」のは《裁判官》だけ。《その他の人》が自身の正義の名の下に人を裁く行為は【違法】であり、それは「できない」ことであり、してはいけないことです。たとえ《弁護士》や《検察官》といった法律家であっても「できない」こと。「できる・できない」とは本来そういうレベルの話です。
 
しかし、私達は日常生活の中で「できない」という言葉をよく使います。「そんな仕事・課題はできない」「やったこともないから、できっこない」「時間がなくて、できませんでした」「〇〇のせいで、できないんです」恐らく、誰もが聞き覚えのあるセリフ、何度も言ったことのあるセリフだと思います。
 
じゃあ、この「できる・できない」は一体どういう話かというと、要は「したい」「したくない」というレベルの話です。たとえば、全く同じ状況で出された課題に対して、一体どういう返事をするか。「したい」という思いのある人、やる気のある人、積極的な人は「やります!」「やってみます!」「させていただきます!」という返事。一方…「したくない」という思いの人、やる気のない人、消極的な人は「できません」「無理です」という返事。そして、こちらからアドバイスとしても、二言目には「でも…」「だって…」「どうせ…」で返してきます。
 
《仏様の御使い》は誰にでも「できる」ことです。なぜなら「できない」ことを、わざわざ私達には仰らないからです。誰にでも「できる」からこそ、誰もが仏に成ることが「できる」つまり《仏様の御使いの資格》も《仏に成る資格》も私達にはあるのです。あとは、ご用命をいただいた私達が「やる・やらない」の話です。決して「できる・できない」の話ではありません。
 
思いのある人は、ピンチの中からでもチャンスを見つけ出します。思いのない人は、目の前に絶好のチャンスがあっても見逃します。「できない」理由を探すのは「したくない」を正当化するためです。「できる」理由を探すのは、それだけやる気が満ち溢れている証拠です。さぁ、今のあなたはどっちですか?
 
《昨日の出来事》
「オンラインで御朱印!」を始めることにしました。昨日は、その第一歩としてテスト配信を実施!インスタグラムのライブ中継でお寺参りをしていただき、御朱印「5秒で仏教」を、その場で描かせていただきました。完成した作品はインスタグラムにアップしていきますので《デジタル御朱印》としてコレクションすることができます。今しばらく新型コロナの影響が続くと思いますので、こういった形で下種結縁の御奉公をさせていただきます♪
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