ほんもんぶつりゅうしゅう
2017年12月01日
第22世講有 日慶上人の第17回御忌 乗泉寺で厳かに勤まる
平成13年10月22日に、法寿92歳をもってご遷化された佛立第22世講有・乗泉寺第21世住職・井上日慶上人の第17回御忌法要が、ご正当に当たる10月22日午前10時30分より、ご自坊の渋谷・乗泉寺において、講有・髙須日良上人ご唱導のもと厳修された。
 日慶上人は明治42年9月17日、東京港区芝でお生まれになり、15歳で乗泉寺に入寺。名門麻布中学を卒えて日晨上人徒弟として大正15年3月17日、17歳にてお得度、「正慶」と僧名を賜った。
 昭和32年、乗泉寺より川口・照妙寺住職に就任。8年間のご奉公にて今日の照妙寺の基盤を成し遂げられ、同41年より平成6年までの28年間、宇都宮・常照寺住職に。
 その間、本宗弘通局長等を歴任され、同63年10月、宗務総長にご就任。宗門弘通と正常化に奮迅され、平成4年7月講有代務者に、同6年、乗泉寺住職に就任。麻布別院(現六本木ヒルズ一角)内の教職舎に居住され、「この2ヵ月間が乗
泉寺危急存亡の時なり」と、世田谷、麻布、八王子別院を連日交互に詣り6時間口唱を続けられ、遂に渋谷・乗泉寺への帰山を果たされた。
平成8年7月には佛立第22世講有位にご晋位され、乗泉寺と宗門の正常化に心血を注がれ、同10年11月、任期ご満了で講有位を退かれて乗泉寺にご帰山され、ご自坊の再建も果たされた。
 当日は、一座お看経の中で、講有・日良上人が日慶上人のご遺影の前に進まれお焼香された後、乗泉寺住職・永江日盡師はじめ有縁の御導師・教務方が続いてお焼香。
 信廣会各御導師・ご内室、乗泉寺教務部・信徒等は回し焼香にて、また外陣焼香台では寺務局長横山文樹氏はじめ親族、他寺院代表、事務局幹部等が、お焼香を捧げた。
 一座法要の後、乗泉寺住職・永江日盡師は「日慶上人の宗門と乗泉寺への熱い思いを、本日の17回忌法要を期に今一度再認識させていただき、乗泉寺信廣門末は、開導聖人ご生誕200年慶讃・佛立開花運動の残り40日を『たがいに、すすめはげまして』異体同心で教化誓願達成のために、努力精進させていただく所存です」と挨拶を述べられた。
 引き続き、御法門台の前にお立ちになられた講有・日良上人は「私が宗務本庁のご奉公をさせていただいておりました時には、日慶上人は雲の上のお方のようでした」と日慶上人在りし日の思い出をお述べになり『とてもわれ利益をみねば妙法の ありがたき事しられざるらん』の御教歌で御法門をお説きになられた。
 最後に、横山事務局長より御礼の挨拶があり、17回御忌法要が無事に終了した。