2020年06月01日

佛立信心とSDGs6 社会性を保つ努力や工夫を忘れないよう

過去2回に亘って、SDGsと仏教の親和性について述べてきました。この観点から今回は、私たち佛立教講がSDGsに取り組む意義について考えてみたいと思います。

そこでまず押さえておきたいのが、SDGsは世界が目指すべき未来像であるとともに、その未来を実現するためにクリアすべき課題として、世界各国・各地域が一致して掲げたものであるということです。意識の差こそあれ、信仰の如何に関わらず、これは世界の共通認識です。
言い換えれば、SDGsに反する目的や行為は、現在のところ社会的共感を得にくいと理解しなければなりません。仮に宗教性を帯びて押し切るようであれば、反社会性や世俗的異常性が高まり、いわゆる「カルト集団」と認知されてしまうでしょう。
その意味で、当欄連載の第2回に「私たちがSDGsを取り入れるのは、決して独りよがりにならず、常に社会性を確保するという点で大きな意義がある」と記しました。これが私たち佛立の教講と寺院がSDGsに取り組む、一つ目の意義です。
 
人が信仰を持ち、それに基づいて活動するとき、悪意を伴うことは基本的にありません。災禍を免れたい、幸福を手にしたい、故人のため、先祖のため、あるいは社会のため。しかしその過程で一般的な感覚では理解しがたいことや社会通念にそぐわないことがある場合があります。特に信仰の世界は独自の理論を展開しがちですし、また信仰心が強いほど没頭し、妄信に陥る可能性も高まります。
もっとも、信仰心と社会性は対義ではなく、両立させることが可能ですが、往々にして反比例の関係になってしまいやすいのです。そうしたことを未然に防ぐためには、自身の取り組みを客観的にはかる社会的なものさしを持つ必要があります。その1つがSDGsなのです。
 
私たちの信行ご奉公に係るあらゆることを、SDGsの視点、つまり17のゴール(目標)と169のターゲット(達成基準)に照らして見直してみましょう。たとえば、ご奉公の上で差別はないか、お寺が使用するエネルギーはクリーンなものか、価格の低廉さばかりを求めていないか、過剰な使い捨てがないか、など。
有難くも尊い菩薩行を志す、私たち佛立教講です。信心を堅固にさせていただくとともに、社会性を確保する努力や工夫も忘れてはなりません。 以上