ほんもんぶつりゅうしゅう
2014年08月15日
「終戦記念日に思う」 木村日覚 宗務総長 談話
ありがとうございます。
 第二次世界大戦の終結から69年目の終戦記念日を迎えるにあたり、彼我(ひが)の戦災犠牲者の精霊に深い哀悼(あいとう)の意を捧げると共に、世界の恒久(こうきゅう)平和を祈念するものであります。

 本来、釈尊は法華経に「その中の衆生はことごとくこれ吾が子なり」…この世界の人びとはみな、「わが子」、「仏の子」であるとされ、人の命を何よりも尊ばれ、「殺生」を厳に戒められています。世俗に介入されなかった釈尊も、戦争には抗議の意志を表し制止された絶対平和主義者でした。

 また、日蓮聖人が「日蓮はこれ法華経(ほけきょう)の行者(ぎょうじゃ)なり。不軽(ふきょう)の跡を紹継(しょうけい)する故に」と仰せの、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の修行の姿を受け継ぐことが宗是(しゅうぜ)です。不軽菩薩は、反対者の暴力を受けても非暴力を貫きました。

 当宗の最高規範の宗綱(しゅうこう)等にも「世界恒久平和」を祈願する旨、明確に謳(うた)っています。

 このように仏教諸宗の中でもすぐれて平和を希求すべき当宗ですが戦前は諸宗と同様、官憲の圧力により戦時体制に組み入れられ、外部から見れば戦争に加担したと評されても致し方ない状況でした。戦没者の50回忌に当たる1994年、宗門は植田日朝(にっちょう)宗務総長時代、このことに対して慚愧(ざんき)の念を表明し不戦の誓いを新たに致しました。

 憲法の成立過程の議論はさておいて平和憲法と称される現憲法第9条は戦争放棄を明確に宣言しており、現実に70年近い年月を経て日本は他国と1回の戦争も行うことなく今日まで平和国家として歩んできたことは厳然たる事実で憲法の抑止力を示しています。ところが、去る7月1日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされました。現憲法の改正という手続きを踏まず、ただ解釈変更によって憲法を実質的に変更することは法的に大きな問題です。もし、国会で関連法案が成立した場合、国外において日本人が戦闘に参加し、罪なき人の命を奪うことになります。

 かつて佛立第11世講有日颯(にっさつ)上人は、平和をめざして宗教者の連帯を説かれ国連に親書を出されたりしましたが、お互いは先の戦争における悲惨な体験を通じて歴代講有、先師上人、ご信者の方々が平和を心底より願い戦争放棄の条項を無言のうちに受容し支持してきた重みを真摯に受けとめなくてはなりません。

 まず、私たちは世界平和のために、不軽菩薩にならい、すべての人の仏性を敬って妙法を勧め仏の種を植え、すべての人が妙法の功徳で罪障(ざいしょう)を消滅し争いのない真の平和な国…「寂光浄土(じゃっこうじょうど)」が建設されるよう推進しなくてはなりません。同時に、世界平和のためには宗教者として発言し、発信しなくてはなりません。

 もし、このたびの集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を黙認すれば確実に現憲法が空文化し、近い将来、正法の担い手である佛立信者のみならず多くの人びとに、これから仏の種を植えるべき相手の命を奪わせることにつながります。これは宗教者たる自己を否定することにほかなりません。

 したがってここに集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に、正法をお弘めする宗教者として反対し深い悲しみと重大な危機感を抱いていること、関連法案が成立しないよう心から望んでいることを表明いたします。


平成26年8月15日

本門佛立宗 宗務総長 木村日覚