ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年12月01日
東京・遠妙寺 教講12名がフィリピンへ —現地で戦没者慰霊法要を営む—
遠妙寺では、去る8月29日、住職の木村日覚師の他、教講11名がフィリピンネグロス島に渡航、マンダラガン山において戦没者慰霊法要を営みました。この山は終戦間近に旧日本軍が追い込まれ山岳戦となった山で、餓えや疫病、ゲリラ戦、そして米軍の迫撃で多くの方々が亡くなっている大変険しい山です。

 今回ご回向の法要をさせていただいた場所は、山頂を望める旧日本軍の病院や機関銃の砲台も保存されている山の中腹で、現在はパダック・キャンピングサイトという施設になっています。また戦後、遺骨収集団がご遺骨を焼骨(日本に持ち込むために必要な消毒処置)した場所でもあるそうで、昨年3月に台風被災者の救援活動のためネグロス島に訪れた際、探索して見つけることのできた土地です。この度、終戦70年という特別な年に、因縁深いこの土地に導かれ、初めて上行所伝の御題目によるご回向法要を営むことができました。

 この時期フィリピンは雨季のため連日雨が続いていましたが、仏天のお計らいをいただき当日は朝から素晴らしい青空が広がりました。祭壇を組み立て始めると私達の周りに多くのトンボが集まり旋回を始め、法要の最中も留まり続けました。まるでこの山で亡くなった方々が御題目のご回向に喜び、参集された様に感じました。

 法要終了後、参列者の1人、福本容子さんはハーモニカで赤トンボの唄の演奏を亡き魂に捧げられました。続いて50メートル程移動し、ご遺骨を焼骨した跡地でのお看経の際も、トンボの大群は私達について移動。お看経の間、頭上で旋回を続け、お看経終了と共に去っていきました。本当に不思議な体験をさせていただきました。遺骨収集もまだ終わらない日本から遠く離れたこの地で、御題目の声、回向供養は確かに亡くなった方々に届いたように感じました。

 また、同日ネグロス別院から近いバコロド市ロザリオハイツにある戦没者慰霊塔でも慰霊法要が営まれました。 先の大戦で一番多く(約53万人)の日本人が亡くなった国がフィリピンです。両国の戦没者ご回向はこれからも続けて行かねばならないと考えさせられるお参詣となりました。

(追記:旧日本軍の戦闘機の練習機を赤トンボと呼んでいたそうです)

(遠妙寺教務部記)