ほんもんぶつりゅうしゅう
2017年03月01日
3住職の帰寂 尽7日忌法要を厳修 講有特使として亀井副総長を派遣して
ブラジル教区・日扇寺住職・2等講師・モライス教竜師、同教区・本法寺住職・2等講師・フェレイラ伯是師、同教区・本妙寺住職・2等講師・オリベイラ教正師には、去る平成28年12月5日午後11時頃、同教区教務会議に出席するため自家用車に乗り合わせ、会場であった同国南部フロリアノポリスの親会場へ向かう途上、大型トラックに追突され、交通事故によって帰寂された。
葬儀告別式は12月7日、各本務寺院において教区葬の礼を以て執り行われた。
この事態を重く見た宗務総局は、3師の本務寺院をはじめブラジル教区管内のご弘通ご奉公、とりわけ今秋に控えた講有上人ご巡教を念慮し、同教区中央寺院・日教寺の新年初総講に併修されることになった3師の尽7日忌合同法要に、講有特使として亀井日魁宗務副総長を派遣することとした。
また、3師の生前の功績に鑑み、そろって僧階昇叙を追贈することを決定した。
講有特使としてご奉公された亀井日魁宗務副総長は現地滞在中、3師の遺族に面会して弔意を伝え、悲嘆に暮れる教講を慰め励ましの言葉をかけ続けられた。これを受けて、同教区ではすでに3師の後任住職が選定されるなど、態勢を立て直してのご奉公が始まっている。
実に厳しい現実と向かい合ったわけであるが、これを機にさらなる異体同心の結束を図り、信心改良に努め、ご奉公に精進され、ご弘通の伸展が見られることを切望するより他はない。
○モライス教竜師(行年35歳)本勤院教竜日(にち)心(じん)大徳
○フェレイラ伯是師(行年40歳)本法院伯是日信大徳
○オリベイラ教正師(行年44歳)本妙院教正日定大徳
後先ながら、1月15日、日教寺で執行された3師の尽7日忌合同法要にあたって、講有上人が寄せられたお言葉の全文を謹んで掲載する。

モライス教竜師、フェイラ伯是師、オリベイラ教正師の帰寂によせて
ブラジル教区 日扇寺住職・モライス教竜師、本法寺住職・フェレイラ伯是師、本妙寺住職・オリベイラ教正師の帰寂の報に接し、謹んで哀悼の意を表するとともに、各師の生前の功を讃えて僧階の1等を昇叙追贈し、仏道増進仏果菩提を祈念いたします。
3師はそれぞれ、ブラジル国内で得度後、日本での研修を経験し、若くして住職の重責を担う、将来を嘱望される佛立教務でありました。就中(なかんずく)、ブラジル開教100周年及び日水上人第37回忌を迎えるにあたり、中堅教務として教講の異体同心を図り、報恩ご奉公の円成を陰で支えた不可欠な存在であったと聞き及んでおります。
また、3師はともに日系人の血を引かず、ブラジルにおける更なる教線の拡充、強いては一天四海皆帰妙法の最前線に立つべきご弘通の戦力として、ブラジル国内はもとより、日本、そして他の海外各教区からも大きな期待を寄せられておりました。
「とにかくに死は一定なり」(上野殿御返事・昭定1709)
「老たるも若きも定め無き習也」(妙法尼御前御返事・昭定1535)
とは、高祖のみ教えながら、この貴重な命が突如失われたことにただ驚きを禁じ得ず、痛恨の極みと申すより他ありません。一方、そのような私たちに対し、この厳しい事実が「無常」をあらためて教えていただいたものと感得しております。
この上は、お互い佛立教講がいよいよ異体同心となり、口唱と折伏に徹し、経力現証による菩薩行をあらためて決意し、実践することです。そして、これこそが、帰寂した3師への追善供養であり、報恩であり、3師のご遺族をはじめ有縁各位の察して余りある心痛を僅かでも癒やす道であると確信いたします。
ブラジル教区教講一同には、本年10月に控えた講有巡教をめざし、佛立開導日扇聖人ご生誕200年のご奉公成就と、ブラジル全州への寺院建立という大目標の達成に向けて、新たな一歩を踏み出されることを切望いたします。
2017年1月15日
本門佛立宗  第26世講有 日良

また、ブラジル教区を代表し高崎日現教区長の寄稿文を以下に掲載する。

ブラジル3住職の帰寂によせて
ブラジル教区・日扇寺住職・モライス教竜師、本法寺住職・フェレイラ伯是師、本妙寺住職・オリベイラ教正師は、去る12月5日午後1時頃、突然の交通事故により帰寂しました。3師は3年前に建立されたブラジル南部フロリアノポリスの親会場における年内最後の教務会議に向かう途中で、後ろから大型トラックに激突されるという大変悲しい出来事でした。
教務会議はいつも日教寺で開催されますが、殆(ほとん)どの教務が件(くだん)の親会場にまだ訪れていなかったこともあり、交流と激励を兼ねて、会場に定めておりました。3師の本務寺院から親会場まではおよそ1,200キロも離れており、バスや飛行機も便が悪いため、自家用車に乗り合わせていました。
事故の一報を聞いた私は全教務に連絡して警察署に集まるよう指示しました。警察署で3師の遺体と対面し、確認や諸手続を終えたときには、すでに日付が変わっていました。
その後、3師の遺体は最も近くである如蓮寺へ移すべく、霊柩車にておよそ150キロの道のりを急ぎました。如蓮寺は教竜師や伯是師の出身寺院であり、教正師が常在してご奉公したこともある、ご因縁の深い寺院です。ご信者やご家族も大勢参詣され、6時間に及ぶ常題目の後、6日午後2時から教区葬を勤めさせていただきました。教務3師の合同葬はさすがに辛いものでした。ご信者、ご家族、知人、友人、近所の人びと、およそ300名が集まり、涙ながらにお別れを告げました。
その後、3師は各々本務寺院に移され、本法寺は午後10時に、日扇寺は翌午前1時に、本妙寺は翌午前3時に到着し、直ちに通夜が執り行われました。深夜にも関わらず、それぞれ数100名の参列をいただきました。
12月7日、本法寺では午前9時から、日扇寺では午前11時から、本妙寺では午後3時から、それぞれ寺葬が勤められ、3師は埋葬されました。
ブラジル教区では昨年末を以て任期が満了するため、3師は新年から他の寺院への異動が決まっており、転居の準備が概ね整っていました。それがまさかこのようなお別れになるとは、誰ひとり夢にも思っていませんでした。しかし、3師の夫人や子どもたちはご信心を強くして悲しみを抑え、立派にお別れをなさいました。
3師の葬儀にあたっては、木村日覚宗務総長や植田日事弘通局長からご懇篤な弔辞を賜り、それぞれ読み上げ、祭壇に奉呈させていただきました。さらに、宗内のみならず、ブラジル仏教界すべての宗派から弔辞やお香典が寄せられるなど、先達のご奉公によって本門佛立宗がブラジルに広く認知されていることに気づかされました。
葬儀や埋葬を終えたものの、未だ本来の落ち着きを取り戻せずにいた中、12月20日から25日まで、松本現喬前海外部長と長松清潤元弘通局主事が遠くブラジルにお越しくださり、私と共に3師の墓参と管内7ヵ寺を巡回、3師のご家族と抱き合い、涙をこぼしてお励ましくださいました。来伯くださったお2人は、帰寂した3師が日本短期留学中に殊の外お世話になった方で、この来訪と激励によってご家族も私たち教講も随分と落ち着いたように思います。
やがて新年を迎えましたが、すべての祝盃式を取り止め、講有上人の年頭のお言葉をいただくのみとし、喪に服しました。
1月15日、中央寺院・日教寺の新年初総講に併せた3師の尽7日忌合同法要は、勿体なくも、亀井日魁宗務副総長が講有特使としてご唱導くださり、ご随伴の岡居日実弘通部長にご出座賜りました。
開式前には亀井副総長が3師の夫人方に面会され「苦しいけれども1人で苦しむ必要はありません。この苦しみは皆の苦しみだから分かちあって共に乗り越えましょう」とお声がけくださいました。それまで気丈に振る舞っておられた夫人方も、さすがにこのお言葉には、ご家族と共に泣き崩れました。
法要の開始にあたり、ブラジル教区・エヂソン東原新理事長が挨拶し、「人生には大なる困難は付きものです。去る12月5日は妙法不信の人には大惨事の日として記憶されるでしょう。しかし、佛立信心を志し、御題目をお持ちさせていただく私たちは、決して怯(ひる)まず、謗法を犯さず、必ずご信心を増進させていただき、運命のせいにしたり苛立ったり、3人の大切な御住職方を亡くした痛みを心苦しく思ったりいたしません。むしろ、さらに御題目にお縋りし、口唱に励み、無常の世の愛別離苦を生きる力に切り替えて、さらなるご弘通に努めさせていただきます」と述べました。
法要では、3師の夫人方に宗門からの功労金が手渡され、講有上人のお慈悲をもって3師がそろって一等講師に昇叙され、大徳号を追贈されました。亀井副総長がその意味を丁寧にお教えくださり、講有上人のお言葉をご代読くださいました。参詣者はスクリーンに投影された翻訳の字幕に目をやりつつ、合掌して聴聞いたしました。
また、亀井副総長は御法門に先立って「私は今回の渡伯が3回目ですが、このように辛く悲しい渡伯など、なければよかったのにと今でも思っています。このようなときに私ごとき者が、亡くなられた3師のご遺族、そしてブラジル教区のお教務方、ご信者方にかける言葉を持ちません。(中略)
深い悲しみを癒すには時間しかないと思います。しかし、我々佛立信者には上行所伝の御題目があります。この御題目様の教えに対する信心を忘れてはなりません」とご教示くださいました。
そして御法門では「人ならば因果の道理わきまへよ さらばみのりにうたがひもなし」との御教歌を引かれ「ご奉公に頑張っていた、あの明るい御住職方が、なぜ不慮の死を遂げねばならなかったのか。それは分かりません。しかし諦めてはいけません。辛くても苦しくても、分からせていただけるまでご信心の道を歩むこと、御題目を唱え続けようと強く思ってください。
私たちの先輩の御導師方やご信者方もきっとそのようにして、あらゆる苦難を乗り越えてこられた。だからこそ現在の、ブラジル本門佛立宗があるのです。ブラジル開教の師・茨木日水上人は、ブラジル弘通のために奥様と太平洋上ですれ違い、そして奥様は日本で帰らぬ人となられた。どんなにお辛かったでしょう。涙を流されたでしょう。
御題目の信者にも苦難はある。たとえ賢いと言われる人、聖人と尊ばれる人でも、難を逃れることはできない。だからこそ、私たちは我も唱え、家族にも、人にもと御題目口唱に勧め励むのである。苦しいときも幸せなときも、南無妙法蓮華経と唱えさせていただくのです。
なぜだ、どうしてだろうという、凡夫の知恵では納得のいかないことが、必ず分からせていただけるようになります。だから苦しいとき、辛いときこそ、強く信心を起こして口唱に励むのです」とご教導くださり、ブラジル全寺院からの800名を超える参詣者一同は深く随喜し、心を新たにさせていただきました。
法要の結びに、ブラジル教区を代表し、教区長として私が次のようにご挨拶させていただきました。
亀井日魁上人、この度は副総長として宗門を代表され、岡居部長と共に、わざわざ新年初総講会並びに、教竜師、伯是師、教正師の尽7日忌を講有特使としてご奉修くださり、心から御礼申しあげます。また、3師共に大徳号を追贈いただき、心から御礼申しあげます。
あまりに突然のことで、言葉にできない悲しみに包まれましたが、教区長として懺悔改良し、信心増進を誓います。
昨年は、事故の日まで順調にご奉公が進められ、本門佛立宗の知名度が高まり、世界のオリンピックにも仏教界を代表して参加でき、皆で随喜させていただいておりました。しかし、12月5日の事故が大きな打撃となり、深く反省させられました。
やはり、これからはものの捉え方、ご奉公やご弘通に対する態度を大きく変えなければならないことに気づかされました。
講有上人をはじめ、日本の皆さんやブラジルのご信者方をも悲しませ、ご心配をおかけし、お詫び申しあげます。しかし、いたずらに悲しむばかりでなく、今日からご信心で立ち直り、我々の救いとなる、日扇聖人ご生誕200年の年度末にお迎えする講有上人ご巡教のため、そして3年後の日水上人御50回忌のため、一層ご弘通ご奉公に精進させていただくことを、ブラジル教区教講を代表してお誓いいたします。
最後になりましたが、宗門からのご弔辞や多くの方々のお香典に対し、心から御礼申しあげます。岡居部長と共に僅か2日間のご滞在ですが、どうかご無事で、お折伏やご教導を賜りますよう、お願い申しあげます。ありがとございます」と申し述べました。
私たちブラジル教区はこの度、帰寂した3師のみならず、近年大功労者の多くを亡くしました。一昨年は、御牧日解導師御内室・妙子様。昨年は、ブラジルの全教務がご指導を受けた瀬島日茗先生と大野日鶯先生、また元ブラジル教区長・鈴木日樹導師御内室・道子様、元海外部長・竹内日肇導師。我々の歩むべき道は報恩のためのご弘通をおいて他はありません。
講有上人のお慈悲をはじめ、懇(ねんご)ろに激励くださった講尊日裔上人、講尊日誠上人、講尊日開上人、そして弔意をお寄せくださった皆様に、この場をお借りして心から御礼申しあげると共に、今秋の講有上人ご巡教をめざしたご奉公に一生懸命精進させていただくことをお誓いいたします。
2017年2月5日
ブラジル教区長
    高崎扇忠 合掌

このように大変厳しい中で、ご弘通ご奉公に励まれているブラジル教区だが、昨年12月には女性教務・吉川妙養師が得度されており、来月号に掲載させていただく定で
ある。(新聞編集室)