2017年05月01日

第7支庁 サイパン慰霊法要を厳粛に奉修 その歴史を振り返る 妙運寺 森川幸夫

去る2月10日、北マリアナ諸島のサイパン島において「第5回 第7支庁サイパン慰霊法要」が柴﨑日布第七支庁長ご唱導のもと、厳粛に奉修されました。
今から23年前の1994年(平成6年)、本門佛立宗・第7宗務支庁は、第二次世界大戦終戦50年のため、サイパン島のバンザイクリフの地に慰霊碑を建立いたしました。
そして、サイパン島戦没戦争犠牲者並びに中部太平洋戦没犠牲者50回忌の慰霊法要を奉修させていただきました。その時から当支庁は、約5年毎にサイパンを訪れ、慰霊法要をさせていただいております。
また、ここサイパンは清水日博上人が、佛立第15世講有日晨上人の御下命により南洋弘通を担任されていた所でもあります。ですので、今回、清水泉洋第4支庁長も団参に加わっていただけましたことは、大変ありがたいことでありました。
さて、今から76年前の1941年(昭和16年)太平洋戦争が勃発しました。日本はグアム島も占領し、サイパンに日本軍の司令部を設置し、快進撃を続けていました。しかし、アメリカ軍の反撃で、徐々に劣勢になっていきました。
1944年(昭和19年)6月15日、ついにアメリカ軍がサイパン島に上陸を開始し、日本軍との間で物凄い激戦となりました。
7月7日、サイパン島は1ヵ月と経たずに陥落し、日本軍は玉砕、在住日本人約10,000人も死亡、約14,000人の日本人が捕虜収容所に強制収容されました。そして、グアム島、ロタ島、テニアン島と次々に陥落していったのです。
その上、アメリカ軍はグアム、サイパン、テニアンに滑走路を造り、日本本土をめがけて、爆撃機を次々に飛ばしていったのです。とうとう最後には、広島、長崎に原子爆弾を投下しました。因みに、その原子爆弾を投下した爆撃機はテニアン島から出撃したB29爆撃機によるものです。
1945年(昭和20年)8月に戦争は終結。ミクロネシアの日本領は、国連によりアメリカの信託統治となりました。そして、1986年に北マリアナ諸島がアメリカ自治領となり現在に至っております。
私の母は子供の頃、家族とサイパンで生活をしていました。日本からの移住者です。当時は、日本の統治下にあったため、約30,000人の日本人が移住し生活を営んでいました。
サトウキビ畑に囲まれ、庭にあるマンゴーやパパイヤの実を頬張りながら、母と母の兄弟は、ここ、サイパンの小学校、中学校に通っていました。それが、戦争が起こり、生活は一変したのでした。戦火を逃れ、ジャングルを逃げ惑う日々となったのです。
母の家族は食糧も水もなくなり、みんな衰弱しきっていたところ米軍に捕らえられました。捕虜収容所では、食事も与えられたのですが「敵の物など食えるか」と、祖父は一切、食べ物を口にせず、息絶えました。
上陸してきたアメリカ軍の掃討作戦で、なお一層、状況が厳しくなっていきました。山中には、いくつもの洞穴があり、そこに隠れていた民間人、負傷兵は、次々に集団自決していったそうです。また、のどが渇き、海水を飲んでしまった人々もたくさん亡くなったそうです。
多くの人が、北に向かって逃げました。敗色濃厚となった多数の日本兵および民間人が、マッピ山山頂で自決。マッピ山の北面の高さ250メートルもある断崖絶壁から投身自決をしました。このことから、この崖をスーサイドクリフ(SUICIDE 英語で自殺の意味)と呼ぶようになりました。
米軍からの投降勧告、説得に応じなかった民間人は、サイパン島の最北端まで行き、断崖絶壁から、次々と海に飛び込んでいったのでした。この岬の遥か彼方に日本があります。日本に向かって「天皇陛下万歳」と叫び、両腕を上げながら身を投じたことから、戦後、この岬をバンザイクリフと呼ぶようになりました。自決者の数は一万人にのぼるとも言われ、海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化したそうです。
ここサイパンの地には、約55,000人もの日本人が埋められ、また、バンザイクリフの海深くに沈んだのです。収容されたのは、約27,000柱だそうです。まだ、半数のご遺骨が異国の地にそのままなのです。
日本政府は、戦後、遺骨収集団を派遣して来ましたが、平成8年からなされておりません。何故でしょう。日本人の壮絶な死に対し、あまりにも悲し過ぎます。しかし、サイパンの若者が、ご遺骨を掘り出して下さいました。コンテナに200体ほど安置してあるそうです。
そして、このコンテナ(HISTORIC・ヒストリック PRESERVATION・プレザベーション OFFICE・オフィス=歴史的な物を保管する場所)を開けていただきたく、日本領事館に申請し、今回は許可が下りましたので、ご回向が奉修できました。
 戦争のため、サイパンで犠牲になった方々、日本に帰れずに残されてしまった日本人のご遺骨を思いやって、どうか皆さま、この地に来島して、ご回向してください。お願い致します。
そして、サイパンでの この酷い悲惨な戦争の話を次の世代に語り継いでいって下さい。もう二度と、戦争を繰り返さないためにも…。
私の祖父、祖母、叔父、叔母も、未だ日本に帰れず、ここサイパンの何処かに眠っております。 
                            合掌