2018年07月07日

佛立宗なんでもQ&A 日蓮大士御降誕八百年 記念シリーズ その二 立教開宗の宣言前後

Q 日蓮聖人はどのような確信を懐いて、どのようにご弘通、布教活動を始められたのですか。

A 長年にわたる仏教研讃の結果、日蓮聖人が得られた結論は、あまたある仏教経典の中でも、法華経(妙法蓮華経)こそが、釈尊のご本意の説き明かされた真実教であり、今、末法という時代においては、法華経の魂ともいうべき要法、上行所伝の御題目、南無妙法蓮華経を我も唱え、他にも勧める信行のあり方こそが凡夫、下機の衆生が成仏得道の果報にあずかる唯一の道であるというものでした。
 聖人はこの確信を胸に懐きつつ、故郷安房の土を11年ぶりに踏まれます。そして建長5年4月28日、清澄山の一角にお立ちになり、太平洋のかなた、水平線より昇りくる朝日に向かい、声高らかに御題目をお唱えになり、立教開宗の宣言をなさったのでした。
 聖人はこの立教開宗の日より、その名を「日蓮」と改められました。法華経の第21章、如来神力品の「日月の光明のよくもろもろの幽明が除くが如く、この人世間に行じてよく衆生の闇を滅し」の御文から「日」の一文字を、第15章、従地涌出品の「世間の法に染らざること、蓮華の水に在るが如し」の御文から「蓮」をいただいてご自身の名とされたのですが、まさに末法濁世を救い人々を導くべく出現された本仏釈尊の使者にふさわしい御名といえましょう。
 聖人は立教開宗の宣言をされたあと、まずご両親を教化され、父君には「妙日」、母君には「妙蓮」という法名を授けられたのち、故郷の人々に法華経本門の教えに基く御題目口唱の行こそ、末法相応の成佛の道なる旨を説かれましたが、念仏信者であった地頭の東条景信はこれを聴いて激怒し、聖人に危害を加えようと企てます。この不穏な気配に狼狽(ろうばい)した師、道善房は聖人にこの地を立ち去るよう勧めました。昔より「予言者はおのが故郷において尊まれることなし」といいますが、聖人もまたその例外ではなかったのでした。
 故郷を去られた日蓮聖人は再び鎌倉に赴かれ、ここを妙法弘通の本拠地と定めて、日夜人々に仏教の真髄、法華経の教えを説いていかれました。この活動はのちに「日蓮の辻説法」として語り伝えられていくことになります。
 聖人の説くところに反発し罵詈嘲笑(ばりちょうしょう)を浴びせる者も少なくありませんでしたが、一方では聖人の教えに随喜感銘し帰依する人たちも次第に増えていきました。比叡山ご遊学時代の学友で、のちの日蓮聖人の中心的なお弟子の1人となった日昭上人をはじめ富木常忍、四条金吾、進士義春、工藤吉隆、地上宗仲といった武家たちもこの時期に聖人の教化を受けて入信した人たちです。

我が祖師の 
宗旨びらきの はじめには
  旭のそらに 鶴の舞いしと
         (御教歌)