ほんもんぶつりゅうしゅう
2018年05月01日
門祖会に併せ住職継承式を執り行う  北村日鏡上人より泉恒健師へ法灯を継ぐ
第2支庁北大阪布教区 本成寺

第2支庁・北大阪布教区・本成寺では、去る3月25日、伊藤日学上人(本圓寺住職)の奉修導師のもと、晴天の計らいをいただき境内の桜花も咲き始める季候の中、門祖会並びに住職継承式が執り行われた。
 本成寺の縁由
 本成寺は天正3年(1575)に京都で創建され、本山宥清寺とは明治時代までは歩いて10分ほどの所にあり、同じ法華宗の本山・妙蓮寺の門末寺院でもあった。
 明治22年、佛立第3世講有日隨上人が住職に就任されたご縁で、大正元年(1912)に大阪に移転し、当時、大阪中之島玉江橋南詰めにあった佛立講の玉江組と合併したものである。
 当時は国の宗教政策で寺院の創建が困難な時代であり、玉江組も法華宗の寺院の名を借りて教会所とする時代もあった。そこで玉江組の担任でご奉公されていた日隨上人が、京都にあった本成寺と、大阪の玉江組との合併を図られ、大正元年から玉江組本成寺が誕生。日隨上人は中興開基としてご奉公されたのである
 その後、玉江組本成寺は、大正12年に住職に就任された4世日顕上人のもと、ご弘通が盛んとなり、玉江橋から広い境内地を求め、昭和6年に現在地の堂島橋北詰に移転。広島、愛媛、奈良、兵庫地方に教線を伸ばし現在は末寺9ヵ寺院が建立されている。
 昭和20年6月、太平洋戦争の大阪空襲により本堂を焼失したが、戦後いち早く仮本堂を建立し、一宗独立の後、6世住職泉日恒上人を迎え、昭和29年には現在の本堂を建立して、盛大な開筵式が奉修された。
 平成4年、日恒上人がご遷化。北村日鏡上人が第7世住職を継承され、去る3月25日に、新住職・第8世として泉恒健師を迎え、継承式が営まれたものである。
 住職継承式を奉修
 当日は午前9時から門祖会第1座を奉修の後、10時半より門祖会第2座が、伊藤日学上人導師のもと住職継承式を併修して奉修された。
 門祖会奉修後、午前11時10分より継承式は執行され、田中伸一局長の式辞のあと、奉修導師の継承式言上、一座お看経に続き、北村日鏡上人の住職退任式が営まれ、有縁の教講が見守る満座の本堂の中、功労金、記念品の贈呈、青年会員による花束贈呈があり、今までのご奉公に感謝の拍手が鳴り響いた。
 続いて新住職の就任式が営まれ、最初に住職辞令が奉修導師より伝達され、続いてご訓示が述べられ、これを受けて泉新住職から宣誓の言上があった。その後、お祝い金、記念品の贈呈、花束の贈呈と続き、ここでも大きな拍手が贈られた。そして、新住職からのお礼の言葉、奉修局からのお礼の言葉と続き、奉修導師の御法門をいただいて、12時40分に終了。
 引き続き、会場を堂島川を挟んで向こう岸にあるホテルNCBに移して午後1時半より祝宴が営まれた。
 祝宴
 祝宴では、北大阪布教区代表・鈴木昌光布教区長(妙光寺住職)、本成寺門末代表・宮本日孝師(本現寺住職)からお祝いの言葉をいただき、本光寺局長・竹田舜夫氏の発声により乾杯と続いて祝宴が営まれた。
 午後2時40分、祝宴の最後に新住職、奉修局を代表して田中局長よりお礼の挨拶があり、午後3時には終宴となった。
 当日は、寺内1013名、他寺院は230名、教務37師の参詣をもって盛大に営まれた。
 また、継承式に参詣できなかった寺内ご信者のため、4月1日には新住職のお披露目式があり、223名の参詣で賑やかに営まれた。この日は境内の桜も満開で、新しい出発を祝福するかのような風情であった。今後益々の寺院興隆、新旧住職の法体健勝とご奉公成就を祈念するものである。