ほんもんぶつりゅうしゅう
2018年10月01日
佛立第19世講有 日裔上人の第一周御忌を厳修
佛立第19世講有・日裔上人は昨年9月2日、法寿95歳をもってご遷化なされました。そのご遷化の御姿は、まさに沙羅双樹の下で涅槃に入られた仏陀・釈尊のごとく、誠に神々しお姿でございました。お別れの悲しさとともに、私は、この上ない随喜と残された私どもへの厳しい折伏と感得させていただいたことが、この度の第一周御忌法要の中で、昨日の様に思い出されました。
また、本堂の御祭壇に御荘厳された御遺影の前で、お焼香をされるご信者一人ひとりの姿は上人に対する御礼の思いなのでしょうか、まさに上人にお話なされているような姿であり、上人がご信者に慕われていたことがよく分かりました。
日裔上人のご一生と、佛立宗への功績や社会への貢献、誕生寺の発展に尽くされた事は、宗内外の人々の知るところと存じます。
ここでは、私が感じたままの一端をお伝えしたいと思います。
今から8年前、日裔上人から「話したい事がある」と、お呼び出しがありました。何事かと参りますと上人から突然「あんたに誕生寺の後の住職をお願いしたいのや」とのお話。困惑しましたが私の父・佛立第18世講有日地上人の御遷化の砌、日裔上人に「次はあんたに頼んだで」と申されたことを思い浮かべ考えますと、私は素直に「はい」と申しあげることしかできませんでした。
已来、私は日裔上人を御師匠と仰ぎ、御父君とも思いお仕えさせていただく決心をいたしました。そして、上人の御遷化までの日数は私にとって大変貴重な時間となりました。特に「昭和22年に当宗が一宗独立を果たしたことは、当宗だけに止まらず社会への大きな役割と使命がある」とお教えいただき、宗門や誕生寺の本来あるべき姿や、未来の日本そして世界へのご弘通への思いなどを語りお教えくださったことは、私の心に刻まれ今も鮮明に思い出されます。
日裔上人が誕生寺第6世ご住職に就任されたのは昭和54年のことでした。その翌年には『誕生寺づくり促進会』が発足し、新しい誕生寺づくりの長期構想を発表されます。そして、テーマを設け未来にむけての指針を示されます。そのテーマは〃ゆっくり たしかに 伸びる誕生寺〃で、「ゆっくり」とバランスをとりながら「たしかに」1年1年、力をつけ積み重ね、弘めふえること。これが「伸びる」ことであると、お教えくださいました。
その上で教務・役中陣の強化と育成、高祖700回御遠諱から誕生寺創立70周年の法要儀式の計画実行、寺制の見直し、教養各会の必要性を提言され、人づくり・信者づくり・役中づくりを果たす長期計画を樹立されたのです。その長期計画に基づき、上人は宗門及び誕生寺の発展に身もこころも精一杯尽くされたものと存じます。
その一つが「どなたでも親しくご参詣しやすいお寺に」という目的のもと建立された誕生寺の新本堂です。この新本堂が人を育て、その人々がご弘通発展の礎となって、京都から日本に、日本から世界へと御題目が弘まることを日裔上人は切望されておられたのです。
この本堂が一昨年、日裔上人の思いを受けられた誕生寺の教講一同の篤き思いで、無事建立させていただくことができました。日裔上人は大いにお喜びくださり、開堂式をお勤めいただくことできましたことは、誕生寺の住職として報恩の一分でも果たせたものと随喜しています。
今後は、2年後の8月の誕生寺新本堂開延式に向け、教講一同、異体同心をもって準備に邁進させていただき、日裔上人への報恩の誠を捧げたいと、この度の御一周忌を契機に改めてお誓いさせていただきます。