ほんもんぶつりゅうしゅう
2020年08月01日
六清階の門祖会を奉修  元会長・中原純氏の尽七日忌も営む 長島愛生園
去る4月27日、晴天のもと岡山県瀬戸内市の長島愛生園内佛立講堂において、六清会門祖会を第9支庁長・山内日得師(妙現寺住職)が奉修された。
当日は、妙現寺のお教務・信徒12名と妙清寺住職谷川淳浩師がご奉公され、全員マスク着用で寺内外清掃の後にご供養を頂戴してから御会式が勤まった。
当日は、併せて4月に行年101歳で帰寂した六清会元会長の中原純氏の尽七日忌のご回向が営まれた。
山内日得師は御法門で「しぬる迄かくをこたらでつとめおかば また来ん時の便りならまし」の御教歌をいただかれ、中原氏の生涯について述べられた。
 日本のハンセン氏病患者は、昭和6年より平成8年まで法律に基づき療養所へ入所を強制され、同園の佛立宗組織の六清会信徒も例外ではなかった。愛生園の弘通は昭和31年、開講100年教化運動の最中、同園と食品関係で取引のあった岡山妙現寺信徒・落俊二氏が入所者の悲惨な日常を知り「妙法の光で幸せになって欲しい」と教化の手を差し伸べた事が発端となっている。
以来、宗門と妙現寺のご奉公により愛生園での弘通が進み、園内で正規の宗教組織として本門佛立宗は認可を受けた。そして、同園信徒が妙法口唱の功徳で六根清浄を得益される事を祈って第13世講有日如上人が撰名された「六清会」が発足し、佛立講堂が建立されたのである。
園内には他宗団の組織もあったが、いざ入所者の葬儀になると偏見で他宗団の者は病気を怖がり来園をためらう中、佛立信徒だけは同園信徒の葬儀へ大勢訪れ、丁寧に葬送した事が園内で話題となる。
 この当時に中原氏は教化を受けて六清会信徒となり、佛立講堂の御宝前お給仕、朝夕お看経を欠かさずご奉公され、多くのご利益を頂戴された。3年前の六清会創立60周年記念法要では「100歳まで頑張る」と言われたとおり、今年満100歳を迎えられたが、この冬に体調を崩して園内の病院に入院していた。
そして臨終の数日前、本人が職員に懇願され担架に乗ったままで佛立講堂へ参詣。去る4月13日に信心第一の生涯を全うされた。行年101歳。氏の法号は松風寺先住・吉田日祥上人が長年の道場護持の功徳を顕彰し、本名「永田幸一」の一文字を加えて「永護院寶荘日幸居士」と授与された。
 山内日得師は御法門で「信心修行は臨終の夕べまで御教え通り、身を労し心を尽くし如説修行を楽しみとしてご奉公に励ませていただける事が有難い。その功徳により来世は今生よりも人助けの菩薩行をさせていただける果報が頂戴できる。
感染症が流行る今日、生々世々の菩薩行を誓うお互いは病魔に負けず、現当二世の大願成就のため臨終の夕まで如説修行に励むように」と諭されて御法門を結ばれた。
 聴聞させていただいた参詣者一同は信心改良を心に誓い、各々帰山させていただいた。