ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年06月01日
新本堂開筵式を無事に厳修 高祖ご降誕800年慶讃法要も併せて
第2支庁・北大阪布教区・豊中良風寺(住職・西村日要師)では、去る5月3日、佛立第26世講有日良上人導師のもと、高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃法要並びに新本堂開筵式が奉修された。
 当初は、昨年のゴールデンウイーク中の5月3、4、5日にかけて全国有縁の寺院からの団参をいただき、併せて佛立第18世講有・良風寺開基日地上人第三十三回御忌を奉修する予定であったが、今般のコロナ非常事態により、1年間延期して勤められたものである。
 今回の法要も、昨年と同じく連休中の5月2、3、4日の3日間にわたり奉修の予定であったが、コロナ禍による大阪府下の3度目の緊急事態宣言の発令により予定を大幅に変更し、3日の御講有上人による一座に集約されての奉修となった。

 良風寺の歩み
 良風寺の濫觴(らんしょう)は昭和28年、太平洋戦争による戦災で焼失した清風寺本堂の建立に際し、時の住職・西村日地上人が、新本堂建立と併せて大阪の衛星都市に5ヵ寺院を建立する誓願を立てられたことに始まる。
この立誓のもと、昭和33年に藤井寺・鶴松寺、同41年に堺・妙風寺、同43年に東大阪・浄風寺、同55年に旭区・清現寺が建立され、いよいよ5ヵ寺目として、昭和56年に現在地に100坪の土地を入手し、清風寺豊中別院が創立され、初代担任に江口淳洋・日泱師が就任。
以来、大阪北摂地方にご弘通は進展し、平成8年に信徒千戸充実を機に「信現山良風寺」と寺号公称、誓願が無事成就。
開基を日地上人といただき、日要師が第2世住職に就任、5教区27組でスタートした。
平成9年には4期20年間にわたる勧財ご有志による新本堂建立のご奉公を開始。同11年には藤本淳悦・日修師を第3世にいただき、この年に最初の会館を竣工。同18年には会館2号館、3号館に上棟御本尊を奉安。同21年には、会館4号館でお看経が初めて営まれた折りの12月暮れに、突然住職日修師がご遷化され、翌22年、第4世住職に西村日要師が再任し、新たな気持ちでご弘通が開始された。
 その後、着々とご弘通も進展して、創立当時は100坪だった境内地は700坪まで拡大。特に念願であった表通りの国道176号線から直接、お寺に出入りできるようになった(近所の方も利用可)。平成27年には会館を解体、翌28年1月、新本堂地鎮式を挙行し4月に着工。10月には竣工して、高祖会に併せて開堂式と、寺号公称20年のお祝いを奉修させていただいた。
20年にわたる建営勧財ご奉公者は総勢880名で、総額3億3千415万2千円の浄財がご有志された。
 新本堂は、鉄筋コンクリート造り4階建てで、1階がバリアフリーの本堂、下足のまま出入りができる。2階に事務所、そして厨房と多目的室があり、3階は納骨堂と教務室。4階が法宅となっている。延床面積は937.36平方メートル、エレベーター完備である。
 
開筵式当日の盛儀
 5月3日は晴天のお計らいのもと、午前10時半から梯麗士さんの司会進行で奉賛歌「衆人は」の斉唱から始まり、続いてMBS毎日放送の元アナウンサーでご信者の田丸一男氏プロデュースのプロローグ映像があって法要が開始され、講有上人より高祖ご降誕800年慶讃・新本堂開筵式の言上を頂戴した。
式典では、奉修局・良風寺事務局長の加藤崇氏、西村日要住職の挨拶の後、本寺清風寺・代田和一事務局長、本庁随伴・江口淳節総務部長の祝辞と続き、宗門よりの弘通興隆費が下付された。
 続いて今回の開筵式に際し、特に顕著なご奉公をされた良風寺第2代目の事務局長・故 井上満哉氏に対し「特一級」清勲、大居士の法号が追贈され、奥さんの井上比奈子姉に伝達された。次に福原廣吉氏、井上比奈子姉、板谷ヨシ子姉、佐野英子姉、加藤崇氏に随喜状の下付があり、代表して加藤崇氏が拝受。
 最後の訓辞・御法門では訓辞に先だって講有上人から、昭和42年に佛立修学校(現・佛立教育専門学校)に清風寺から通われていたこと、卒業後に豊中教区(良風寺の前身)でご奉公されたこと、そして良風寺が建立されて本日、お参りさせていただけたことを、思い出深く語られた。
 最後に無始已来の言上で12時に終了。その後、出座のお教務方と各寺院の代表による集合写真の撮影があり、ご供養と記念品等を、それぞれお持ち帰りいただいた。
 コロナ禍のため予定が大幅に変更となったが、晴天のお計らいをいただき無事に奉修されたことは、将来の良風寺の隆昌発展を予感させる法要であった。