ほんもんぶつりゅうしゅう
2019年02月01日
新春清談 講尊・日開上人〔2〕 お祖師さまのご恩を忘れず 一切衆生の救済の道 折伏教化に励もう
ましてや我々は末法の時代に生を受けて、お祖師さまのお陰でこの本門の大法にお出値いさせていただいて、過去の罪障消滅を果たし、現当二世のお計らいをいただく果報を頂戴した訳やから、その大恩にお報いするというのが、ご弘通のご奉公。お祖師さまに対する大恩報謝のご奉公はそれしかない訳やからね。
お祖師さまご自身、ご入滅になる2年ほど前、弘安3年の12月にお認めになった『諌暁八幡抄』という御妙判があるでしょ。
「日蓮は去ぬる建長5年癸丑4月28日より、今弘安3年太歳庚辰12月にいたるまで28年が間又他事なし。只妙法蓮華経の7字5字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(昭定・1844頁)
とこうおっしゃっている。
そういうお祖師さまのお慈悲にお応えをさせていただくのが我々のご奉公やから、これは何としてでも立てさせていただいた教化の誓願はもとよりだけれども、その他のあらゆる面でご奉公を充実させて、一歩でも前進をさせるようにもっていかないと申し訳がないと思うね。
我々はお祖師さまのお陰でこうして生かしていただいている訳だし、功徳が積める訳やから、そういう果報を頂戴したということを本当に忘れないようにさせていただかないと、それがだんだん、自分の何か願いがあるときにはお参詣もし、ご奉公もし、何か真剣にやっているみたいに見えるけれども、それ以外の時にはもう横向いているというような格好では、いけません。これは親が悪いと思うね。

――『年頭のことば』の中でも、御講有は
「思へ人祖師御出世のなかりせば 御題目は誰が手よりきく」
との御教歌をお引きです。

御講尊 そうや、お祖師さまのお陰で御題目をいただいたんやからね。お祖師さまがご出現遊ばされなかったら、結局、迹門の題目やから、天台宗のものやわな。それを、お祖師さまは佛勅を蒙ってご誕生になった訳やろ、仏様の詔を受けた上行の再誕やから、だからそういうお祖師さまの御本意をしっかり感得をさせていただいて、努力をさせてもらわんといかんわな。それと折伏やね。
「わが祖師の御たましいをたましいと すれば折伏せぬは謗法」という御教歌がある。「習損堕獄」という御題が置かれている訳やけれども、お祖師さまは佛勅を蒙って御出現遊ばして、上行の再誕としてのご奉公をされた訳やろ。この一切衆生を救済する、それがために上行所伝の御題目を命がけでご弘通くだされたわけや。
そのお陰を我々は蒙ってるわけやから、だからあくまでも先ほどの『諌暁八幡抄』のそういう思いでご奉公をさせていただくと、一切衆生を救うという、そういう思し召しを感得しなければならんわけですね。
だから開導聖人は、お祖師さまの御妙判をいただかれて「日蓮が曰、一切衆生の苦は日蓮一人の苦也。今世間の謗法にて地獄に落る苦は此佛立講一門の苦也と、大慈大悲を仏、祖師、開山の如くに起して、弘通を励み、信行をすゝみ給ふべき也」(寿量品及び信心口伝の事・扇全27巻57頁)
と御指南くだされています。だからそういう思いでご奉公させていただく。
まあ、時代は段々信仰心が薄れ、人心も段々疲弊して悪くなっていくばかりやからね、なおのこと、お互いが信心を強盛にさせていただく、そういう努力を重ねていかなければならんと思いますね。

――本日はご多用のところ、誠に有難うございました。    (了)