2021年02月01日

講尊・小山日誠上人 新春清談【2】  御題目をしっかりお唱えして  苦しみの許 元品の無明を断ち切ろう

――前回では、開導日扇聖人の御教歌・御指南から、怠りの「魔」に負けてはならぬ、とご教示いただきましたが、やはり我々は凡夫ですから、なかなか不安が消えないのですが…

御宝前に全てお任せし安心立命を感得しよう
御講尊 それでも不安の絶えない私どもに開導日扇聖人は、
「まかせたら 安心せねば かひもなし 人にはあらず まして仏に」
(開化要談十・扇全13巻251頁)と御教歌をお示しです。
「安心立命」―あんしん りつめい(あんじん りゅうめい)と読みますが、〃心を安らかにすれば、一生正しく生き通すことができる〃という意味で、いろいろのことが起こる一生の間でも、確かなものにお任せして安心して暮らしていけば、その一生は意義のある正しいものになって送ることができる、という仏教のことばです。
牛や馬、犬や猫は信仰はいりません。私たち人間も、若し寿命が無限で、保証されているならば、別に信仰などをしなくてもいいわけです。牛や馬たちは、その命の無常ということを知りませんから、信心をする必要がないのです。
人間は必ずいつか死ぬもの。これが大前提にありますから、心配が絶えないわけです。そして死ぬまでの人生でも、突如、病気になったり、災難にあったりもします。幸い何事もない、平穏な毎日の中でも、奥さん方ならば、今日の夕飯のおかずは何にしよう、という様な小さなことから悩みが生まれます。
近頃どうも肩が凝って困る。
子供がいよいよ学校に行く年齢になるが、お金がかかる。
不況のせいか、商売が近頃思わしくない。
税金を払わなければならない。
やれ、子供がカゼを引いた。コロナが心配。
娘を嫁に出さねばならない。支度をどうしよう。
世間のおつき合いもある。お金がかかる・・・。
等々人間の心配はキリがありません。絶えず心をつかい過ぎて安まるヒマもないのです。
大体、身と心は1枚の紙の裏表のようなものですから、あまり心を使いすぎると、ついには、身体の方も病んで参ります。心がいつも千々に乱れて、ハラハラ心配ばかりしていて、そこに幸せがありますか?
安心のある生活が、私たち人間の身と心の安定・幸福をもたらすのです。つまり「安心立命」ということが人間の幸福の条件と申せます。その安心立命をどうしたら得られるか? どうしたらよいか?
お祖師さまは御妙判に、
『一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥(たしか)に後生は申すに及ばず、
今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就す可き也』     
(祈祷経送状・昭定689頁)
と、これがその秘訣であるとお教えくださいました。
つまり「お任せする」ということです。しかも、そのお任せする相手は、人間同志ではありません。一番たしかな仏様、法華経の御本尊様、御法様に一切をお任せして、安心しきって、毎日を送らせていただけば、今生も未来世も安心だ、と仰せなのです。
元来、人間の上にやってくるもろもろの苦しみは〃元品の無明〃というだれでもが必ず持っている、煩悩から起こる罪障の根元にあるのです。
(「無明」とは無知、愚かさ、迷い。仏の智慧の光に照らされていない。「元品の無明」根本的な迷い。煩悩の根元。)
上行所伝の御題目様は「元品の無明を切る大利剣」と教えられている様に、御題目をしっかりお唱えしさえすれば、どんな罪障でも、苦しみでも、切り開いて下さるお力をいただけるのです。
開導聖人は御指南に、
『未来の心配は捨て置いて唱へよ。成仏は案ぜず観せず、唯口唱せよ。口唱即成仏是也』(本化三界遊戯抄・扇全6巻399頁)
と仰せで、元品の無明の根っこを切ってしまえば、もう何が起きても心配はありません。苦しみの根元を、御題目口唱により断ち切って、絶対の安心立命を得ることができ、これからも幸せな一生を送り、最後は立派に寂光参詣がさせていただけるのです。
何かあった時には思わず口から〃南無妙法蓮華経〃と御題目が出るお方は、この元品の無明が大分払い切られています。心配は要りません。何しろ、人間にお願いするのではない、仏様にお任せするのですから、大安心です。(つづく)