ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年03月01日
佛立第24世・本山第65世 講尊日誠上人ご遷化 令和3年1月30日午前9時42分 法寿90歳 一期の化導果たされ
佛立第24世講有・本山宥清寺第65世住職・清雄寺第21世住職・講尊・小山日誠上人は、去る1月30日午前9時42分、ご遷化あそばされた。法寿90歳であった。これを受け、2月4日午前11時より、講有・日良上人ご名代 宗務総長・小西日演師導師のもと、清雄寺葬が執行された。なお、宗葬の日程は世相の推移を注視しつつ、後日ご披露される。

 2月4日 清雄寺葬を執行
上人は常々「良いお看経」の大事を仰せになり、ご弘通を第1に祈る御題目口唱によってのみ世界恒久平和が実現し、その中に個々のご利益感得がある。故に片時も無駄にせぬ覚悟でご弘通ご奉公せよ、と教講一同を督励し続けられた。講有退位後も変わらぬ朗々とした「良いお看経」の音声は宗門人の敬慕の的であり、また率先垂範のお姿でもあった。
昨年来のコロナ禍にあっては、いち早く御書を紐解かれ、一切衆生の苦を我が苦とされたお祖師さま日蓮聖人の弟子信者としての生き方を宗内に示され『コロナ禍を言い訳に信心低下・懈怠してはいないか? 今こそ佛立教講が我が怠りの魔軍を責め立て、一心口唱に励み、コロナ禍で苦しみ悩む人のためご弘通ご奉公に気張る時!』と強くお折伏。宗内の改良・覚醒を促された。
昨春の緊急事態宣言下の外出自粛期間にも清雄寺本堂に出仕され、寺内信徒全戸に『忍』の一字を揮毫(きごう)した葉書を送付。また積極的にリモートを活用し、門末教講への督励を続けられ、教講一同、その慈愛に感涙を禁じ得なかった。
自粛解除後も換気のため空調が行き届かない本堂に、灼熱の夏も、秋雨から初冬の寒さも厭(いと)わず、朝参詣・御講へのお出ましを欠かされなかった。
記憶に新しい10月の本山高祖会では、久方ぶりに本山参詣が叶った参詣者、世界の佛立教講を労(ねぎら)いつつも『今こそ信心の怠りの魔軍を責め立てよ』と獅子吼なされた。
秋には宿痾(しゅくあ)全快の大きなご利益を蒙られ、御法様の御力を目の当たりにご教導いただき、一山を挙げての悦びとなった。(新春清談参照)
その随喜のまま令和3年新春を迎えられ、祝杯式・初総講にも矍鑠(かくしゃく)とお出まし。1月7日に俄(にわ)かに不調を訴えられたが、ご病床にあっても終始、口唱をなされ、宗内一同のお助行に対し、感謝のお言葉を述べられる。
そして1月30日、午前9時42分、家族・弟子一同の唱題の中、化を寂光に遷された。
日誠上人ご遷化の報は直ちに本山宥清寺をはじめ全国寺院、海外教区にまで報ぜられた。
上人のご遺体は2月1日正午にお戻りになり、本堂にて納棺の儀。午後6時より枕経の儀を執行。その後、遺弟による唱題の中、翌2日を迎え、緊急事態宣言発出の中、葬儀での密集を避けるため、寺内信徒は分散参詣を徹底し、2日・3日の日中にお別れとなった。
2日は荘厳された本堂にて午後6時から、小松川清秀寺住職・岡本日苑上人導師のもと仮通夜が、翌3日は午後6時から、本宗参議・大塚遠妙寺住職・木村日覚師導師のもと本通夜の儀が執り行われた。
翌5日午前11時、講有日良上人ご名代・宗務総長・小西日演師導師のもと、有縁の教講・来賓・地元町会代表等が参列し、清雄寺葬の礼を以て本葬儀が厳粛に執行された。
葬儀委員長・第5支庁長・渋谷乗泉寺住職・永江日盡師が式文を言上し開式。宗務総長による歎読言上の後、本宗参議・木村日覚師、門末覚英会幹事長・濵田日重師、清雄寺事務局長・望月信好氏が弔辞を奉読された。
続いて、遺弟を代表して栢森清立師が、清雄寺信徒を代表して婦人奉仕会長・内田房子姉がお別れの言葉を述べた。続いて、弔電披露では講有日良上人のご弔意をはじめ、ブラジル・スリランカ両教区による惜別と感謝の言葉が読み上げられた。
約2時間に亘る本葬儀の後、最後のお別れを済まされた上人は、澄み切った青空の下、参列者の唱題の中、遺族・遺弟のお供により清雄寺を後にされた。
夕刻、火葬場からお帰りになられた上人の火滅已後収拾舎利ご回向は有縁の教講参列の中、厳かに営まれた。
なお、3日間の葬儀の模様は清雄寺YouTubeチャンネルにてライブ配信され、国内はもとより海外教区の教講一同もお別れをさせていただくことができた。なお、この葬儀の模様は現在も視聴可能である。