日蓮聖人のお手紙を通して学ぶ佛立信者のご信心と人生

日蓮大士ご降誕800年記念シリーズ 日蓮聖人のお手紙を通して学ぶ佛立信者のご信心と人生 その4 富木尼御前へのご消息

今月号では先月号でご紹介した富木常忍氏の妻、富木尼御前に与えられた日蓮聖人のご消息を通して佛立信者としてのご信心と人生を学ばせていただくことにしましょう。
 富木尼御前は、日蓮聖人が身延山にお入りになったのち、夫、常忍氏と共に出家し、落飾して「尼」となったため「尼御御前」と称されるようになりました。
 先月号でご紹介したように、夫、富木常忍氏は亡き母親の遺骨を携えて身延に日蓮聖人を訪ねましたが、その折、聖人は常忍氏の妻、富木尼御前に1通の手紙を書かれ、これを常忍氏に託されました。このお手紙の中に次のようなご文章を拝見することができます。
 「ときどの(富木殿)の御物がたりそうろうは、『このはは(母)のなげきのなかに、りんじゅう(臨終)のよくおわせしと、よくあたり、かんびょう(看病)せし事のうれしさ、いつの世にわするべしとも思えず』と喜ばれそうろうなり」(佛立宗版御妙判集3巻189)
 日蓮聖人は富木常忍氏の妻である富木尼が、夫の母親、すなわち姑にたいして、その存命中、手厚く看病にあたったことを心から賞賛しておられるのです。しかも、それは「夫である富木殿が、妻である富木尼、あなたのことを、私にたいしてこのように感謝し、賞賛しておられましたよ」というかたちで書き記しておられるのです。きっと富木尼は嫁として姑に尽くしたことが報われたという喜びの気持ちを聖人からのお手紙を拝見しつつ懐いたことでしょう。
 聖人は、富木氏の妻である富木尼にたいしては、姑の死そのことよりも、むしろ嫁として生前の姑に対する孝養ぶりを取りあげ、しかもその行為を夫にたいする内助の功として賞賛されているのです。こうしたお手紙の文面からも、私たちは聖人の細やかな心づかいをうかがうことができるのです。
 この富木氏の妻、富木尼は病弱の身であったようです。文永11年(1274)、やはり聖人が富木尼に身延から与えられたお手紙の中で「私はあなたのお身体の具合をなによりも案じております。あなたは法華経のご信心をよくお持ちになっているご信者です。法におすがりし、ご祈願をお続けください。必ず増益寿命、当病平癒のお計いを頂戴なさることでしょう。養生を専一にし、けして悲観的な物の見方、考え方をなさらぬようになさい」(意訳)と諭され、励まされたあと「愚痴うらみ事を言いそうになったなら、九州の大宰府方面(福岡県)に赴こうとしている兵士たちのことを思いなさい。蒙古から攻め寄せてくる兵との戦さに備え鎌倉から送られる兵士たちはどんな思いで戦場に向おうとしているでしょうか。愛する妻や家族とは今生の別れともなるやもしれません。」(佛立宗版御妙判集3巻190、意訳)
 日蓮聖人の富木尼に与えられたお手紙の全文をご紹介することはできませんが、聖人は「遺恨のない者同士が殺しあうことほど愚劣で不幸なことはない。その最たるものが戦争である。しかも攻め寄せてくる蒙古の兵士達にも、これを防ごうとする日本の兵士達にも親や妻子がいるはず。」(意訳)と戦争を美化されることなく「立正安国」の立場から日本のみならず、世界の平和を心から願っておられたことも読みとれるのです。